ヴァリヴァリウに在る白い石
サプルガンといふ者が天上に居た。母と父とは畠へ行つて、彼は家に居た。[而して友達仲間と、円い球を転がして遊んで]ゐた。すると[いつの間にか]その球が見えなくなつた。「おや友よ、私の球は何処へ行つたのか知らん、見えなくなつた」といつて、彼は捜した。すると、球は穴の処から、下の方へ転げて行つたのだつた。彼は、球の通つた後をつけて行くと、下界へ行つてしまつた。[其処に蕃社があつたので]彼は社の人に向つて、「私の球は何処へ行つたか、お前等は誰も見なかつたか」、といつて問うた。[人々]「我々は知らない、まあ行つて、ダドゥグラウのおばあさんに聞け」といつた。[彼が]行つて問ふと、お婆さんは、「私は知らない」といつた。ところが、サプルガンは[ふと、其が]寝床に在るのを見つけた。彼は其を取つて、「お婆さん、私の球は、そら此処にあつた」といふと、[老女は]「私は見つけることが出来なかつたのだ」といつた。[サプルガンは]「お婆さん、私はお前の処に居たい」[といつて、其処に滞在することになつた]。
[暫くたつて、或時サプルガンは]「お婆さん、人々は川へ魚を捕りに行かうといふ、私は何を持つて行かう」[といふと老女は]「汝は鍋つかみを持つて行け」[といふ。彼は鍋つかみを持つて行つた]。すると、他の人々は何も取れなかつたのに、彼は魚を擔[ぐ程捕つ]た。
[又或時彼は]「お婆さん、人々は狩に行かうといふ、私は何を持つて行かう」[といふと、老女は]、「狩には、此の私の筬を持つて行け」[といふ]。彼は[筬を持つて]行つた。[すると人々は]「我々の友よ、[サプルガンと]一緒にするな。[彼は女の用ゐる]筬を持つてゐる、不吉だ」といつた。[彼等は狩した]。ところがサプルガンは沢山捕つたのに、他の人々は何も捕らなかつた。
[其後又或時、彼は]「お婆さん、人々は首狩に行かうといふ、私は何を持つて行かう」[といふと、老女は]、「私の筬を持つて行け」といふ。[彼は筬を持つて行つた。すると]人々は、「一緒にするな、汝は[不吉な]筬を持つてゐる」[といつた]。ところが、彼は沢山殺したのに、人々は一人も殺さなかつた。[それで]皆が怒つて、「我々の友よ、我々如何してやらう、何故か、如何して勝てないのだらう、さあ、我々は、彼を殺してやらう」[といつた]。サプルガンは[丁度]遊びに行つてゐて、その相談を漏聞いた。彼は殺される恐があるので、内に帰つて老女に告げた。「私は社の人に殺されさうだ。お婆さん、私は天上に帰りたい」といふ。[老女は]「いや、サプルガンよ、此処に居れ。人々がさういつても、其が何だ、如何するものか」といふ。[するとサプルガンは]「いや、お婆さん、私は天上に帰りたい」といつた。
彼は小さな[携帯用の]砥石を地に立てた。すると、其が大きくなつて、天に届く様になつた。彼は球を取つて[老女に]、「お婆さん、そら、この檳榔子を嚼んで、吐き出した屑が乾いた時には、寝床の下に、はひつて隠れなさい」、といつて、上へ登つて、天上に帰つた。彼が天に着くと、彼は[その柱を]踏折つた。すると、ヴァリヴァリウ（其蕃社の名）の全社の人は皆死んでしまつた。只ダドゥグラウの老女だけが生残つた。
サプルガンは天に帰りついた。すると[親達は]、「お前は何処へ行つてゐたのか、我々は、若しや死んだのではないかと思つてゐた。まあ、お前は生きてゐたのか」[といつて喜んだ]。するとサプルガンは親達に、「私は[珠の]後を追うて下界に下つて、ダドゥグラウの老女の処に居た。私は殺されようとしたので、天上へ帰つて来たのだ」といつた。母も父も、「若しお前が死んでゐたら、我々はそんな事を知らなかつただらう」、といつて泣いて喜んだ。
今日ヴァリヴァリウ（口社に近き処）の地に在る、あの白い石は、サプルガンの其時の砥石である。終。
＠＠＠＠＠
異界訪問譚。伝説（石）。
この話型は『生蕃』に「ラウリヤンの話」としてまとめられています。
マカザヤザヤ社・スクスクス社・太麻里社と基本的にはパイワン族社に伝わる話のようです。
しかし分布域はかなり広い。マカザヤザヤ社はさほど遠くありませんが、スクスクス社はパイワン族居住地域の中でもかなり南の方ですし、太麻里は東部海岸地域。
中間地帯に類話がないなら、どういう経路で伝播したのか？不思議です。
＠＠＠＠
しかしもちろん上記他地域の類話とは異なる点もあります。
最も大きな違いは、他地域の異界訪問が「地上→地下界」であるのに対して、今回の事例は「天界→地上」であることです。
天界の観念が発達しているか否かで文化圏論を考える研究者もいるわけですが、現実の事例はそういう観念的な分類をあっさり越えて来る、ということでしょうか。
パイワン族には天界の観念があります。太陽信仰が明確に表れている創世神話も多いですし、太陽カダウを人格神と考える場合もありますから、当然と言えば当然かもしれません。
しかし記紀神話で言うところの「高天原神話」のような神話はほとんどありません。まあそれを言ったら明確な天に対する信仰がある漢民族でも人格神による天界の物語が発展するのは道教的世界観が広がったあとですから、「高天原神話」の方が特殊なのかもしれませんが。
＠＠＠
しかし異界訪問のレベルが異なるだけで、内容的には他の類話と共通している部分が多い。
・異界へ行くきっかけ。
マ／球を追って。
ス／木の輪を追って。
太／銀の環を追って。
・異界で世話をしてくれた人
マ／老母
ス／サプルプルグ
太／老婆
・異界人との競争
マ／狩猟、漁、首狩
ス／詳述ナシ
太／狩猟、漁、首狩
・競争時の持ち物
マ／棒、寝具、棒
ス／詳述ナシ
太／機の竹、伝統服？、機具
・機関に用いた物
マ／竹
ス／櫛
太／梯子
以上、主要モチーフを比較すると、それぞれ微妙に異なります。
伝説化しているのが今回のトクブン社事例のみなのは物語の舞台となる「異界が地上」だからです。まあ地下界への異界訪問でも降下時の穴が伝説化する可能性はありますが、そうはなっていません。
「異界で世話をしてくれた人」はスクスクス社事例のみ男女がわかりませんが、「帰還に用いた物」が「櫛」になっているので、女性だった可能性は高そうな気がします。
異界で行われる競争は基本同じですが、主人公の持ち物として「女性の持ち物」が入っているか否か？は重要な気がします。
なぜなら「異界の存在である主人公は、男性の仕事である狩猟や首狩りにおいて、女性の物で勝利する」という部分がポイントだと思うからです。
本来、台湾原住民は男性のモノと女性のモノを明確に分けています。狩猟や首狩りにおいては絶対に触れてはならない。触れれば災いが起きます。
しかし今回の事例では「老女の助言に従って、女性の物を持参し」ています。特に太麻里とトクブン社の事例ではそれが顕著に出ています。
トクブン社事例でははっきりと「[彼は女の用ゐる]筬を持つてゐる、不吉だ」と言われていますが、地上の人々にとっては不吉なものでも、主人公がそれによって勝利をするというのは何故でしょうか？
それは主人公が「異界から来た人だからだ」としか考えられないでしょう。
老女の忠告に従っているだけとも言えますが、主人公が自力で自分の世界に帰っている所を見ると、主人公自身がその世界の常識を超えた力を持っていると言えます。
＠＠
太麻里の事例については、太麻里の友人に直接尋ねたことがありますが、「地下界に行く話なんて聞いたことない」と言われてしまいました。
しかしトクブン社事例のように「天界から人間界に降りて来た子供の話」というヴァリアントがあっても不思議ではないように思います。
と、いうかむしろ「天界から降りて来た子供の話」の方が納得できる部分もある。
他の事例は地下界の描写が本当に普通の人間界と同じだからです。狩猟首狩りにおけるタブーまで同じです。
『泰雅族神話與伝説』に神隠し？に遭い、七日間山中で幽霊達と交流した後、帰還したという話がありました。
その男性は山中で死ぬ運命だったものが、幽霊たちの相談で死なないことになったと言います。村人たちが山中で何を食べていたのかというと男性は蛙を食べていた、と言います。しかしなぜ蛙を食べていたのかというと幽霊達が「これは猪肉だ」と御馳走してくれたからだというのです。
このタイヤル族の話が何を表しているのかというと、「異界では常識が違う」ということです。男性が行ったのは山中の異界ですがそこは幽霊が住む場所でした。そして幽霊の見ている世界と男性の見ている世界は違うということです。
今回の事例の類話が地下界であるにもかかわらず、その生活は普通にパイワン族のモノであるというのは異界訪問譚としても不自然と言えば不自然です。異界観が全くない。
ならば「地上に降りた天界の子」を主人公とした方が実は妥当、ということにならないでしょうか？後段の設定を全て変えるよりは、異界訪問の設定「地上→地下界」「天界→地上」を変えた方が簡単だからです。
まあもっと事例を集めてみないと、トクブン社が特殊例なのか、他が変化形なのかは判断がつきません。しかし「地上→地下界」が基本なのだとすると「地下界が全く異界っぽくないのはなぜか？」という新たな疑問が生じますね。
逆に「「天界→地上」の事例を伝えている地域は天界の観念が発達しているのか？」という切り口もありそうですが。
＠＠＠＠＠
異界訪問譚。伝説（石）。
この話型は『生蕃』に「ラウリヤンの話」としてまとめられています。
マカザヤザヤ社・スクスクス社・太麻里社と基本的にはパイワン族社に伝わる話のようです。
しかし分布域はかなり広い。マカザヤザヤ社はさほど遠くありませんが、スクスクス社はパイワン族居住地域の中でもかなり南の方ですし、太麻里は東部海岸地域。
中間地帯に類話がないなら、どういう経路で伝播したのか？不思議です。
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しかしもちろん上記他地域の類話とは異なる点もあります。
最も大きな違いは、他地域の異界訪問が「地上→地下界」であるのに対して、今回の事例は「天界→地上」であることです。
天界の観念が発達しているか否かで文化圏論を考える研究者もいるわけですが、現実の事例はそういう観念的な分類をあっさり越えて来る、ということでしょうか。
パイワン族には天界の観念があります。太陽信仰が明確に表れている創世神話も多いですし、太陽カダウを人格神と考える場合もありますから、当然と言えば当然かもしれません。
しかし記紀神話で言うところの「高天原神話」のような神話はほとんどありません。まあそれを言ったら明確な天に対する信仰がある漢民族でも人格神による天界の物語が発展するのは道教的世界観が広がったあとですから、「高天原神話」の方が特殊なのかもしれませんが。
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しかし異界訪問のレベルが異なるだけで、内容的には他の類話と共通している部分が多い。
・異界へ行くきっかけ。
マ／球を追って。
ス／木の輪を追って。
太／銀の環を追って。
・異界で世話をしてくれた人
マ／老母
ス／サプルプルグ
太／老婆
・異界人との競争
マ／狩猟、漁、首狩
ス／詳述ナシ
太／狩猟、漁、首狩
・競争時の持ち物
マ／棒、寝具、棒
ス／詳述ナシ
太／機の竹、伝統服？、機具
・機関に用いた物
マ／竹
ス／櫛
太／梯子
以上、主要モチーフを比較すると、それぞれ微妙に異なります。
伝説化しているのが今回のトクブン社事例のみなのは物語の舞台となる「異界が地上」だからです。まあ地下界への異界訪問でも降下時の穴が伝説化する可能性はありますが、そうはなっていません。
「異界で世話をしてくれた人」はスクスクス社事例のみ男女がわかりませんが、「帰還に用いた物」が「櫛」になっているので、女性だった可能性は高そうな気がします。
異界で行われる競争は基本同じですが、主人公の持ち物として「女性の持ち物」が入っているか否か？は重要な気がします。
なぜなら「異界の存在である主人公は、男性の仕事である狩猟や首狩りにおいて、女性の物で勝利する」という部分がポイントだと思うからです。
本来、台湾原住民は男性のモノと女性のモノを明確に分けています。狩猟や首狩りにおいては絶対に触れてはならない。触れれば災いが起きます。
しかし今回の事例では「老女の助言に従って、女性の物を持参し」ています。特に太麻里とトクブン社の事例ではそれが顕著に出ています。
トクブン社事例でははっきりと「[彼は女の用ゐる]筬を持つてゐる、不吉だ」と言われていますが、地上の人々にとっては不吉なものでも、主人公がそれによって勝利をするというのは何故でしょうか？
それは主人公が「異界から来た人だからだ」としか考えられないでしょう。
老女の忠告に従っているだけとも言えますが、主人公が自力で自分の世界に帰っている所を見ると、主人公自身がその世界の常識を超えた力を持っていると言えます。
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太麻里の事例については、太麻里の友人に直接尋ねたことがありますが、「地下界に行く話なんて聞いたことない」と言われてしまいました。
しかしトクブン社事例のように「天界から人間界に降りて来た子供の話」というヴァリアントがあっても不思議ではないように思います。
と、いうかむしろ「天界から降りて来た子供の話」の方が納得できる部分もある。
他の事例は地下界の描写が本当に普通の人間界と同じだからです。狩猟首狩りにおけるタブーまで同じです。
『泰雅族神話與伝説』に神隠し？に遭い、七日間山中で幽霊達と交流した後、帰還したという話がありました。
その男性は山中で死ぬ運命だったものが、幽霊たちの相談で死なないことになったと言います。村人たちが山中で何を食べていたのかというと男性は蛙を食べていた、と言います。しかしなぜ蛙を食べていたのかというと幽霊達が「これは猪肉だ」と御馳走してくれたからだというのです。
このタイヤル族の話が何を表しているのかというと、「異界では常識が違う」ということです。男性が行ったのは山中の異界ですがそこは幽霊が住む場所でした。そして幽霊の見ている世界と男性の見ている世界は違うということです。
今回の事例の類話が地下界であるにもかかわらず、その生活は普通にパイワン族のモノであるというのは異界訪問譚としても不自然と言えば不自然です。異界観が全くない。
ならば「地上に降りた天界の子」を主人公とした方が実は妥当、ということにならないでしょうか？後段の設定を全て変えるよりは、異界訪問の設定「地上→地下界」「天界→地上」を変えた方が簡単だからです。
まあもっと事例を集めてみないと、トクブン社が特殊例なのか、他が変化形なのかは判断がつきません。しかし「地上→地下界」が基本なのだとすると「地下界が全く異界っぽくないのはなぜか？」という新たな疑問が生じますね。
逆に「「天界→地上」の事例を伝えている地域は天界の観念が発達しているのか？」という切り口もありそうですが。
