神話伝説その他

神話・伝説・昔話の研究・翻訳ブログ。日本・台湾・中国がメイン。たまに欧州。

西洋絵画の象徴

西洋絵画の象徴 「首」


神話画、キリスト教画において斬られた首を描かれる人物は、敵将、聖職者、詩人と様々である。


・サロメとヨハネ
‐継父から娘への御褒美
新約『マルコによる福音書』。イエスに洗礼を授けた「洗礼者ヨハネ」は古代イスラエル領主ヘロデの妻ヘロディアから恨まれていた。ヘロディアは元々ヘロデの兄弟の妻だったため、洗礼者ヨハネがヘロデとの結婚を批判したことが原因である。
ヘロデの誕生日の宴会で、彼等の娘が見事な踊りを披露したので、ヘロデは褒美を与えることにしたが、娘は母の言う通り洗礼者ヨハネの首を要求した。その爲洗礼者ヨハネは斬首され、その首は盆に載せて娘の元へ運ばれた。
後にこの娘はサロメと呼ばれるようになり、サロメと洗礼者ヨハネは絵画の主題としてよく描かれた。

・ユディトとホロフェルネス
‐勇ましい寡婦
旧約聖書続編『ユディト記』。ユディトは美しい寡婦だったが、ユダヤの街ベツリアがアッシリア軍に包囲されたおり、ユディトは着飾って敵将ホロフェルネスに取り入り、酒に酔わせて首を切り落としてベツリアに帰還した。ユディトは敵将の首と共に剣を持って描かれる。

・ダヴィデとゴリアテ
‐石で大男を倒す
旧約『サムエル記上』。イスラエル王ダヴィデは元羊飼いであったが、敵対するペリシテ人の戦士ゴリアテの額に石を命中させて倒した。その後ゴリアテの剣でとどめを刺し首を切り落とした。


・トラキアの娘とオルフェウス
‐妻一筋
『変身物語』。伝説上のトラキアの詩人オルフェウスは妻エウリュデゥケを生き返らせようと冥界に降るが、振り返ってはいけないという禁を破ったために失敗する。その後オルフェウスは女性との関係を断ったのでトラキアの巫女たちの怒りを買い八つ裂きにされて死ぬ。その首を拾ったトラキアの娘の絵画が描かれている。その後オルフェウスの霊は地下へ下り妻と再会したという。

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ギュスターヴ・モローが好きなので、サロメの物語は知っていましたが、そもそも聖書には名前がなかったのですね。知りませんでした。

寡婦が死んだ夫の兄弟と結婚する慣行をレビレート婚(レビラト婚とも)と言いますが、ヘロディアの場合は死別したわけではなく、ヘロデと恋仲になったので離婚したのだとか。
wikiによるとユダヤ・モンゴル・チベットなどではレビレート婚は一般的だったそうですが、やはり死別と離婚では大きな違いがあるのだと思います。キリスト教はレビレート婚そのものを認めていないそうですが。

しかしよく見るとサロメ自体は母親の言いつけを聞いただけで別に悪くないような気もします。まあ悪意がなくても男を死に導くという意味ではまさしく「ファムファタール」であると言えますが。

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ユディトとダヴィデの話はどちらも敵の首を切り落とした勇士の話です。

ユディトの絵画はカラヴァッジオ・クラナッハ・クリムトと有名なものがたくさんありますが、どれも美しい女性として描かれています。男を誘惑し殺す女というのは画家にとっては魅力的な題材なのでしょうか?

ダヴィデはあえて鎧と武器を捨て、羊飼いの杖と投石器だけ持ってゴリアテに相対したと言います。またその時に「イスラエルの戦の神の名において戦う」と宣言したそうです。つまり神の加護によって勝利したということです。
ゴリアテは身長3メートル近い巨体であったと言います。

どちらも首を切り落とすことに宗教的な意味があるようには見えません。敵軍のリーダーを殺したことを証明するという意味しかないような気もします。

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有名なオルフェウスの神話ですが、トラキアの娘がオルフェウスの首を持っている絵画はギュスターヴ・モローも描いています。

その絵を見ると、娘は竪琴を持ち、その上に首を置いています。恐らく首と竪琴を埋葬しようという、そういう場面なのだと思います。「オルフェウスの首塚」とかありそうですが、どうでしょうか?

西洋絵画の象徴 「皮膚」

皮膚
ギリシア神話・キリスト教絵画ともに「皮剥ぎ」という拷問が描かれるが、キリスト教的解釈によれば「呪縛や罪からの解放」という意味もある。


・マルシュアス
ギリシア神話。半人半獣の笛の名手マルシュアスは音楽の神で竪琴の名手アポロンに勝負を挑んだ。アポロンは「勝者は敗者に何をしても良い」という条件を出し、勝負を受けた。結果マルシュアスは負けて生きながらに全身の皮を剥がれた。
「マルシュアスの皮剥ぎ」は解剖学が発展した16世紀によく描かれた。

・バルトロマイ
‐自らの皮膚をもつ聖人
使徒バルトロマイインドやメソポタミアまで布教したが、異教の神官に捕えられ、皮剥ぎの刑で殉教した。その為聖バルトロマイは剥がされた自分の皮膚と皮剥ぎ用ナイフを持って描かれる。
キリスト教において皮を剥がれることは「肉体的な呪縛や罪から解放され、精神的な存在に生まれ変わる」ことと解釈された。
システィナ礼拝堂のミケランジェロ『最後の審判』のバルトロマイは有名。


・シサムネス
‐見せしめにされた判事
ヘロドトスによると、BC6世紀ペルシャ王カンビュセスは裁判所判事のシサムネスが賄賂を受け取ったとして、皮剥ぎの刑とした。さらにカンビュセスはシサムネスの皮膚を椅子に張って見せしめとし、シサムネスの息子を後任の判事に任命した。

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アポロンとマルシュアスの楽器対決は前にも見ましたが、その結果としてマルシュアスは皮を剥がれます。

しかし科学の発達によって古代神話の一場面が復活するというのは非常に面白い現象だと言えます。
16世紀というとルネサンス期ですが、やはり科学技術面での発展が中世のキリスト教中心主義にたいするアンチテーゼとして働いた面があったのかもしれません。
その主題として「神に挑戦する者」の物語が選ばれたのは、単に皮剥ぎを描きたかったということ以上の意味があるような気もします。

一方、日本の江戸時代にもオランダから入った西洋の医学・博物学の書籍にある挿絵・図が日本の伝統絵画に影響を与えたという話を読んだことがあります。
ただ、江戸時代の場合は大きな世界観(政治や宗教)の変化は無かったと思うので、絵画の主題そのものには大きな潮流の変化はなかったのではないでしょうか?
私は日本美術史については西洋よりも知識がないので、この辺良くわかりません。

ただ絵描き個人にとっては「描けなかったモノが描けるようになった」ということ自体が作品制作の大きな動機となったことは確かでしょう。

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wikiによると皮剥ぎの拷問は西洋・中国などでは広く行われていたようです。

その皮剥ぎをキリスト教では「肉体からの解放」と解釈していると言いますが、正直無理やりな解釈です。
ただ割礼と関係がありそうな気もします。ユダヤ教イスラム教では幼児の時に行われるので、入信の為の通過儀礼のような意味はないかもしれませんが、オセアニアやアメリカ先住民の間では成人儀礼として割礼が行われていたそうです。

しかしキリスト教自体は割礼を入信の条件とはしていません。中東では古くから割礼が行われ、イエス自身も割礼を経験していますが、ヨーロッパでは割礼の習慣はなかったそうで、ローマ・ギリシアでの布教において割礼を勧めるかどうか教会内で議論にもなったそうです。結果、割礼の有無は問わないということになり、キリスト教は大きく拡大しました。
逆説的ですが、「現実としての小規模な皮剥ぎ(=割礼)」が必須でなくなったことによって、「象徴として全身の皮を剥ぐ」ことが「宗教者として生まれ変わること」と解釈されるようになったのだと思います。

ところで「皮剥ぎ 通過儀礼」で検索していたら、男鹿半島の「なまはげ」がヒットしました。
ナマハゲは「なもみ剥ぎ」が語源とのことですが、「なもみ」とは囲炉裏に長時間当っていることで手足にできる斑点(低温火傷の痕)をいうそうです。つまりナマハゲ「怠けて囲炉裏にずっと当たっていないで、仕事しろ」ということですが、対象者は子供と新しく嫁いできた嫁など。どちらも「家の新たな構成員」と言えるわけですが、そう考えると確かに通過儀礼的な意味もあるのだと思います。

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中国では人の皮を剥いでその中に草を積めて見世物にしたという非常に残虐な刑罰が行われていた模様。現代の武侠小説などでも残虐な権力者が人の皮を張り合わせて絵画を作るなどというモチーフがあります。

もちろん磔、さらし首なども怖いわけですが、「皮膚を傷つける」というのは大なり小なり誰でも経験したことがある痛みなので、変に想像できてしまうのが「皮剥ぎ」の怖さなのだと思います。

このシサムネスの皮膚で作った椅子は裁判所判事が座るものとして作られたようです。それ自体が罰なのか?「父のようになるなよ」という戒めなのか?どちらにしても残酷ですが。

西洋絵画の象徴 「乳房」

乳房
乳房は豊穣と多産のシンボルであったが、キリスト教の布教以後乳房は淫欲の象徴となり、良くない意味でも描かれるようになった。


・聖女アガタ
‐切り取られた乳房を手にほほえむ
キリスト教は唯一の男性神を持つため、乳房に対する信仰も変化した。三世紀前半シチリア生まれの美貌の聖女アガタは神に身を捧げていたので、シチリア州総督クィンティアヌスの求婚を断った。そのためクィンティアヌスはアガタを投獄し、乳房を鞭打ち切り落とすという拷問を加えた。後に聖ペテロがアガタの傷をいやしたが、全裸でガラスや陶片の上に転がされるなどの拷問を受けて獄死した。このため聖アガタのシンボルは乳房となった。


・授乳する聖母
‐「大地の女神」となったマリア
5世紀エフェソス宗教会議においてマリアは普通の人ではなく、「神の母」と認められた。エフェソスはトルコ西海岸だが、そこでは多乳の女神アルテミスを信仰するなど地母神信仰が盛んな場所だったので、マリアにもその性格が受け継がれた。そこから「授乳の聖母」という絵画の主題が生じた。

・老婆の乳房
‐失われてしまう「若さ」
年老いた女性が乳房をさらしている絵画は「美や若さは移ろいやすい」という虚しさを象徴している。

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乳房に対する信仰というのは日本にもあります。
私が見たことがあるのは奈良葛城一言主神社のものですが、神奈川県横浜の常倫寺の銀杏にも乳房のようなものが垂れ下がっているようで、それを拝めば母乳の出が良くなると言います。

しかし豊穣性そのものを表すほど重視されたかというと、ちょっとわかりません。
あくまでも母乳の出が悪いときに拝む、という程度でしょうか。

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聖女アガタはシチリア島の貴族の生まれですが、総督の求婚を断ったために捕えられたと言います。
売春宿に売られるものの、何故か処女を守り通したので、牢獄につながれ拷問を受けます。其一つが「乳房を切り落とす」ということでしたが、聖ペテロがたくさんの薬を持って現れ傷を癒し、乳房も元通りになったと言います。
が、結局更なる拷問を受けて殉教してしまうことは他の聖人と同じです。

ペテロが登場している所から見て、キリスト教会による伝承なのかな、とも思います。聖女アガタ崇拝はイタリアだけでなく、フランス、ドイツ、スペインとかなり多くの地域に広がっているそうですが、教会がこの話を各地で宣伝したからかもしれません。

ところで「乳房を切り取る」というのは、実際にあった拷問なのでしょうか?単なる物語のモチーフだとしても非常に恐ろしい拷問です。
ダメもとで小松DBを検索してみたところ、沖縄に一事例だけありました。

「ユシキョは珍しい鳥である。元は女性で、夫に耐えられなくなり、片方の乳房を子供のために切り落とし、鳥となって去っていった。この鳥は赤く、片方の乳房がない。姿を見ると死ぬ運命となる。」

ユシキョという鳥の由来譚ですが、ここでは子供のために乳房を自ら切り落としたことになっています。「三井の晩鐘」では目玉を残して行きますが、乳房を切り取って赤子の為に残すというのは絵的に考えると恐ろしい。「姿を見ると死ぬ」というのは完全に妖怪扱いですが、モチーフとしてはやはり「哺乳の為の乳房」です。

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無数の乳房を持ったアルテミスの像は見たことがありますが、それがマリア信仰に影響を与えているというのはなかなか興味深いことです。処女マリアが全ての物を生みだす地母神であるというのは神話の逆説だと言えるでしょう。

しかしよくよく考えるとアマテラスも処女です。イザナギイザナミは人間的な結婚をして「島生み」「神生み」をしたのに対して、アマテラスは結婚自体しません。イザナギの目から生じ、スサノオとのウケイによって神生みをしたというのは、キリスト教的には完璧な「無原罪」でしょう。
もちろん日本に「原罪」などという発想があったとは思いませんが、「巫女は結婚しなかった」という事例はありますから、アマテラスの婚姻が語られないのはその原像に「太陽の巫女(=嫁)」という性質があったからかもしれません。

アルテミスと日本民間の山の女神は共通項が多いですが、日本の山の女神の場合は「子だくさん」と言われることはありますね。或はその延長として「多くの乳房を持つ姿」が想起されたかもしれませんが、そういう図像を見たことはありません。

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しなびた乳房をさらす女の図像というと各種「地獄絵」などが思い浮かびますが、単に「女である」という記号のような気もします。

「移ろいやすい美や若さ」というと小野小町伝承が思い当たります。
しかし「小野小町九相図」では床に伏して着物をはだけた絵や死後野原で烏や野犬に喰われている絵がありますが、どうも乳房がはっきりしません。ネットで調べた絵がたまたま見にくいだけかもしれませんが。

というか、日本は伝統的には乳房に対する思い入れ(?)がないのかもしれません。

春画の類でも特に胸を強調しているようには見えませんし、作品によっては髪型と性器以外は男女がわからないようなものもあります。また、そもそも和服自体女性の胸を全く考慮していませんね。 
昔の日本人は普通に人前で授乳したりしていた気もします。

乳房に興味がないので、春画でも書き込みがいい加減なのでしょう。
日本人にとっての乳房とは単なる授乳のための器官に過ぎず、それゆえに重要な象徴性を与えられることがなかったのかもしれません。

そう言えば、土偶も下腹部や臀部を強調したものはあっても、胸はさほど強調されていない気がします。

西洋絵画の象徴 「眼」


「父なる神」の象徴として絵画の上方に描かれる。「万物創造の手」と共に描かれることがある。またギリシア神話の巨人や聖女の持ち物である。

・父なる神の眼
‐万物の創造主を表す。
「父なる神」を表すために、眼や手を描くことがある。


・ポリュフェモス
‐凶暴な一つ目巨人
ギリシアの英雄オデュッセウスの冒険譚『オデュッセイア』によると、一つ目巨人キュクロプス族にポリュフェモスという凶暴な巨人がいた。この巨人に部下を食べられたオデュッセウスは、ポリュフェモスを葡萄酒で酔わせ、熱したオリーブの丸太でその眼を突き刺した。ポリュフェモスは盲目になり、その父ネプトゥヌス(ポセイドン)の怒りを買う。


・聖ルキア
‐光を暗示するもの
4世紀、イタリア・シラクサ出身の殉教者・聖ルキアは眼をトレードマークとしている。植物の茎の先や皿に置かれた眼を持った姿で描かれる。また油の入ったランプも持つ。「ルキア」はラテン語で光を意味する「ルクス」から生じた名前であり、光を暗示する「眼」や「ランプ」を持つことになったという。
また「恋人が彼女の眼を絶えずほめるのでルキアが自ら眼をくりぬき恋人に贈った」「拷問で両目をえぐり取られた」等、後世に生じた伝説もある。

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「天の眼」の図像を検索するとかなり怖い感じではあります。

伝承のモチーフとしては中国シェ族にも「天眼」というモチーフがありましたが、人格神の眼という意味ではなさそうなので関係なさそうです。


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最初のキュプロクスは天神ウラヌス・地神ガイアの三人の子供ということで、オリンポス十二神のような正統の神々とは違う系統ではあるものの古い神族であるという位置付けでしょう。
その意味では北欧神話の巨人族もそうですし、中国神話で言えば神農氏や蚩尤もそうかもしれません。日本で言えば国つ神?まあそこまで重要では無いかもしれませんが。

「一つ目の鍛冶神」ということでは「天目一箇神」「金屋子神」との関係が指摘されています。
wikiによると「ゼウスの雷霆」「ポセイドンの三叉銛」「ハーデスの隠れ兜」など神々の神器の製作者ということになっています。

一方で、イオニア人・アカイア人・ドーリア人など紀元前2000年〜紀元前1200年にギリシアに進出してきた「第三派ギリシア人」たちは、それ以前のギリシア文明(トロイア・ミノア・ミケーネ文明)の巨石建造物を「キュクロプクスの石造物」と呼んでいたそうです。こちらの伝承については、キュクロプクスの巨体に注目して関連づけられたものでしょう。
日本ではダイダラボッチ伝承などに近そうですが、ダイダラボッチの場合は山などの自然景観が主で、人工物としては貝塚ぐらいですから、やはり微妙に違います。日本には石造りの巨大建造物などあまりないので、ある意味当然かもしれませんが。あるとしたら弁慶あたりと結びつけられそうです。

しかしキュクロプクス三兄弟の名前は雷と関係があるらしく、「元は雷の神か?」という話もあるようです。
天目一箇神に雷神的性格があるかどうか調べてみないとわかりませんが、製鉄過程において使われる火は雷を連想させる部分はあると思います。『播磨国風土記』に載る天目一箇神伝承は賀茂社縁起と似ていますが、上賀茂神社の雷神は賀茂別雷神です。また剣神タケミカヅチはその名称にも雷神的な性格がうかがえます。
更に天目一箇神とも同一視されることがある多度大社別社の神・一目連は暴風神であるとも言いますが、暴風雨に雷が伴うことも普通。多少連想ゲーム的にはなりますが、「鍛冶」と「雷」には、日本でもやはり象徴的な関連性があるのではないかと思います。

上記に引用した『オデュッセイア』の伝承では旅人を食べる単なる食人鬼のような扱いになり下がっていますが、これはこれで風土記や民間伝承に良く表れる「交通妨害をする神」の伝承です。しかし日本の場合はそのような神も祀って鎮めますが、キュクロプクスは一つ目を潰されてしまいます。
ギリシアも日本も、地域の神や古い神は新しい神の出現によって妖精化・妖怪化するのだと思いますが、それを排除してしまうのか、祀り上げて和めるのかは文化によって異なるのだと思います。

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聖ルキアは眼病患者や眼科医の守護聖人。イタリア民謡「サンタ・ルチア」はこの聖人の歌だそうです。

「目」については「処刑前に両目をえぐり取られた」と言われるのが普通のようですが、「恋人に眼を贈った」という伝承はどこから出てきたのでしょうか?完全にホラーで、キリスト教の聖人伝承としてはふさわしく無いような気もしますが。聖遺物もあるようですが、まさか「干からびた目」とかでしょうか?

聖ルキアについてはもう一つ伝承があります。
裁判官の命令で連行される時、手足を縛られた上1000人の男たちに引っ張られたにもかかわらず微動だにしなかった。多くの雄牛に引かせても一歩も動かなかったと言います。
この手の伝承は仏教の「法難」伝承にもあるかもしれませんが、どうでしょうか?

西洋絵画の象徴 「心臓」

心臓
男女の恋愛から神への信仰心まで、心臓は聖俗問わず愛の象徴として描かれた。その形はハートマークで表され、心臓を手に持って相手に渡すというというかたちで描かれる。


・神への愛
‐ハートを差し出す
キリスト教絵画において聖人が心臓を手にしている場合は神への愛を表す。修道士が神に熱心な祈りを捧げたところ、自らの心臓をイエスに捧げる幻視を見たという話があり、絵画化されるようになった。

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心臓の図像がハートマークというのは現代では周知のことですが、ハートマーク自体は元々心臓の意味ではなかったそうです。
瓶・杯・葉など多様な意味を持つ図像だったとも言いますが、「世界最古の広告」(でも時代は不明)とか呼ばれいるエフェソスのとある娼館近くの石畳に刻まれた図像にもハートマークがあるそうです。そこには女性像と足跡の図像が一緒にかかれていて、「心を込めてサービスします」などと解釈されているようですが、それは本当なのか?ちょっとわかりません。酒杯かもしれませんし。

日本でも建築物や刀の鍔などの工芸品鉄細工などに用いられる「猪の目」という意匠があり、向きに寄りますが完全にハートマーク。もちろん「猪の目」というぐらいですから、心臓の意味ではありません。猪の眼がハートマークに見えるかというと微妙ですが。

では、日本では「心臓のマーク」というのがあるのか?
全く思いつかなかいのですが、「体内に内臓がある仏像」があったのを思い出し調べてみたところ、京都清凉寺の釈迦如来像がヒットしました。他にも長崎などに内臓を入れた仏像がいくつかあるようです。
清凉寺のものは見たところ菱形っぽい形。肺と同じ赤い布で作られています。長崎のはレントゲン写真で分かりにくいのですが、「V」っぽい形でしょうか?似ているとは言えません。
あとこの仏像に五臓六腑を入れるという発想は、中国のモノだそうで、清凉寺の物も長崎の物も大陸からもたらされた或は渡来僧が作った物のようですね。

「心」という漢字自体が心臓の象形文字だそうですが、「こころ」という日本語の語源は何なのか?
「凝る」からの変化という説が広辞苑などでは書かれているそうですが、「血の集まる所」という意味なのでしょうか?
言語の方からでは、図像には辿り着けませんが。

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「心臓を差し出す」と言えばエジプトの「死者の書」を当然思い出します。
エジプトと聖書世界の近さについては、この連載でも何度か言及しています。

しかし心臓を神に捧げるというのは、意味合い的には「供儀」に近い。こちらの方ではアステカが有名でしょうか。

私は供儀論には詳しくないのですが、元々ユダヤ教当たりの動物供儀で心臓を重視するような発想があったのかもしれません。
イスラム教でも心臓を「存在の中心」などということがあるようです。

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イエスの心臓自体を神聖視する「聖心信仰」というものもあるそうです。十字架刑の槍の傷が心臓に達していたとも言います。

また13‐15世紀には、修道女がイエスと「心臓を交換した」という幻視が盛に報告されたとか。教会的には「頭」の方が重要という立場だったようですが、修道女や民間では「聖心信仰」が高まったために結局それを認めるようになっていったという経緯もあるそうです。

「心臓交換」「心臓を捧げる」というのは中世欧州では恋愛物語にも普通に現れる表現のようですが、それを信仰の内に持ち込むというのは興味深いことです。
以前「車輪」のところで、聖カタリナの幻視(イエスと結婚する)について書きましたが、やはりキリスト教の修道女たちにとって、イエスは「恋愛対象」に近いかたちで認識されていた可能性が高いと思われます。
もちろん「頭」のレベルではそんなことは考えていなかったでしょうが。

西洋絵画の象徴 「髪」


切っても伸びる髪は旺盛な生命力の象徴とされた。女性の髪は官能性や罪深さをあらわし、キリスト教では悔い改めた女性の目印としても描かれる。


・改悛
‐裸体を覆って隠す
女性の体を覆い尽くすほど長くのびた髪は改悛を象徴し、マグダラのマリアやエジプトのマリアの目印として描かれた。二人は娼婦と考えられていたので「罪深い女の改悛」を表す。

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髪によって裸体を隠すというのは、台湾原住民の伝承で見たことがありますが、「原初の女が髪によって裸体を隠す」というものです。

「娼婦の改悛」と「原初の女」とは大きな隔たりがあるような気もしますが、一方で男性から見た女性の根源的特徴である「性」をまとった存在であるという点は同じです。「原初の女」は「原初の男」によって発見される存在であり、その時点で性差が意識され、「原初の婚姻」が行われるわけですから。

更に「『性』を髪によって隠す」という共通点があるわけですが、キリスト教の聖女たちの場合は「罪深い女の改悛」と言われている。それは信仰に目覚めて裸体を恥じることを覚えたということでしょうか?
「原初の女」の伝承で、「男が来たから髪で裸体を隠した」という表現が取られていたかどうかは覚ていませんが、やはり関係はあるのだと思います。

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「原初の女」と言えば、旧約の楽園喪失において描かれるイブが髪で体を隠したという事例があるのでしょうか?
絵画としては木の葉(イチジク?)で股間を隠しているのは共通ですが、胸は手で隠しているというのが普通な気がします。

しかし「娼婦の改悛」をイブを重ねるのは話が逆さまですから、比較してもあまり意味はないかもしれません。

西洋絵画の象徴 「杖」


杖は「老い」を象徴しているが、「知恵を有する者」の持ち物として、賢者・聖人の目印ともなった。形や材料によって、持ち主が誰であるかわかる。


・カドゥケウス
‐蛇と翼がついた魔法の杖
二匹の蛇が絡みつき、先端に二枚の翼がある魔法の杖を「カドゥケウス」と呼ぶ。この杖は神々の使者メルクリウス(ヘルメス)の持ち物。二匹の蛇が争っているのを見たメルクリウスが杖を投げたところ、蛇が杖に取り付いてこの形状となった。メルクリウスはキューピッドの教育係でもあり、カドゥケウスは教育における理性や雄弁を意味することがある。


・洗礼者ヨハネ
‐十字架の杖
イエスに洗礼を行った洗礼者ヨハネは子羊と十字架のついた杖を持って描かれるが、聖書にはヨハネが十字架を持っていたという記述はない。殉教の証として十字架と共に描かれるようになった。


・大ヤコブ
‐先端がふくらんだ巡礼杖
杖の先端がふくらんだ杖を「巡礼杖」という。福音書記者ヨハネの兄で十二使徒の一人大ヤコブはヘロデ王に処刑され殉教するが、その墓所がスペインで発見され、一大巡礼地となったために、大ヤコブ自身が巡礼杖を持つ姿で描かれるようになった。


・聖アントニウス
‐T字型の杖
聖アントニウスはT字型の杖を持って描かれるが、これを「エジプト十字」という。聖アントニウスは251年エジプトに生れ、修道院制度を創始したと伝えられている。彼は両親がなくなった際に、財産を捨て、砂漠に隠遁し苦行に励んだという。「聖アントニウスの誘惑」の主題は砂漠での修行中、聖アントニウスが様々な幻覚を見た様子を描いたものだが、その場面でもT字型の杖を持っている。

・聖クリストフォロス
『黄金伝説』。巨体のクリストフォロスは最も力のある人物に仕えたいとイエス・キリストを探していたが、ある隠者の助言によって、川の渡し守となる。ある日、一人の子供が河を渡りたいというので肩にかついでいくと、その子供の体がどんどん重くなった。実はその子供はイエス・キリストだった。イエスは自分の正体を教え、その証拠としてクリストフォロスのシュロの杖を地面にささせたところ、翌朝には根付いて葉を茂らせ実をつけていた。
「クリストフォロス」とはギリシャ語で「キリストを背負う者」という意味である。

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蛇の杖カドゥケウスですが、神々の使者の杖がなぜ蛇なのか?
「二匹の蛇が争っていたのを止めた」というのは「調停者」という側面もあった、ということでしょうか?それにしても蛇がどういう意味を持っているのかちょっとわかりません。

しかしその杖が理性を示すというのは、やはり蛇の争いを止めたことが理由になっているのだと思います。対立を調停するというのは客観性を持つことと同意。
蛇が知性を示すというのも以前見ました。

クピドの教育係というのも面白いですが、これも理由が良くわかりません。どういういきさつがあったのか?

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洗礼者ヨハネについては、聖書よりもその後の伝承において重視されていくようになったという経緯があるようです。

イエスよりも先に生れ、先に死に、辺獄にも先についていたという話があるようですが、「イエスの露払い」といった役割付けがあるのかもしれません。そしてそれを意味するのが十字の杖なのではないかと。

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大ヤコブの墓所は「サンティアゴ・デ・コンポステラ」と呼ばれる巡礼地らしいですが、「サンティアゴ」というのは「ヤコブ」のスペイン語名だそうです。大ヤコブはスペイン・ポルトガル・巡礼者の守護聖人ということになっています。

魔術師ヘルモゲネスに取り付いていた悪霊を取除くなどの事跡があるそうですが、興味深いのは「墓から蘇った大ヤコブが白馬に跨って、不信仰なイスラム教徒を殺す」という伝承があることです。大ヤコブは「ムーア殺し」という異名もあるそうですが、この伝承はやはりスペインのイスラム化時代に生じたものなのでしょうか?
レコンキスタをイエスではなく、スペインに墓所がある大ヤコブに托すというのはある意味当然ではあるのですが、一神教たるキリスト教においても聖人信仰を介した多様な信仰があり得る、ということを示す事例だと思います。

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「聖アントニウスの誘惑」は有名な絵画ですが、杖の形には注意していませんでした。「T」はギリシア文字では「タウ」と読むそうで、「タウ十字」とも言うそうです。

一方で「エジプト十字」と検索すると古代エジプト文字の「アンク」(T字の上に○)がヒットします。「生命」を意味する字だそうで、現代エジプトではエジプトそのものの象徴であると考えられているとか。


文字に意味があるのかと思い、ヒエログリフを調べてみたところ、表意文字だけでなく、表音文字もたくさんあるのですね。知りませんでした。
その表音文字では「T」の元の字は「かまぼこの断面図」のような半円的な形をしていますが、元の意味は「ロールパン」だそうです。

エジプトのマリアがパンを象徴としていたことは前に見ましたが、聖アントニウスもエジプトのマリアと同じく砂漠での苦行を行っています。ライオンが墓穴を掘ったという伝承も共通していることから、関係は深そうです。
一方で「烏が毎日パンを運んで来た」という伝承もありました。



「背負った子供が重くなる」モチーフは六部殺し・こなきじじいなど、日本でも見られるモチーフですが、『西遊記』でも子供に化けた妖怪が重くなるという話はあるようです。また『今昔』巻十六・二九では子供の死体を川へ捨てるように命じられた男が重くて運べないので、まず家まで持って行った所死体が黄金に変わっていたという話があります。観音功徳譚。

神仏が子供の姿で現れて、という伝承もありそうなものですが、ちょっと調べたぐらいでは見つかりません。うろ覚えですが、確か徳田和夫先生が中世仏教説話と、この聖クリストフォロス伝承の比較について言及していた気がするので、何か書いているかもしれません。

「杖が根づいて、急成長する」という伝承も日本にはたくさんあります。英雄伝承の一環であることもあるし、高僧伝説であることもあります。柳田國男も「杖の成長した話」という論文を書いていますね。

西洋絵画の象徴 「楽器」

楽器
弦楽器は「聖」、管楽器は「俗」とされていた。音楽は快楽であり、男女の愛を象徴的に表すモノとして楽器が描かれた。


・天上の音楽と地上の音楽
‐竪琴と笛の対立
楽器は教養人のたしなみとされていたが、弦楽器と管楽器は性質が異なる。竪琴・ハープなどは天上の音楽で、精神を高める作用があるとされていた。一方、管楽器は地上の音楽で、興奮をもたらすものとされ、一段下に見られていた。
竪琴の名手であったアポロに笛で技比べを挑んだマルシュアスの物語があるが、それは弦楽器と管楽器という性質の違う楽器を通して、「理性と感情の対立」を暗示したものだという。


・聴覚
‐美しい音色の快楽
弦楽器リュートは楽器の王と称えられ、天上の音楽の象徴であった。またリュートや楽譜は人の聴覚を象徴するものとして描かれた。
一方で、リュートは快楽や儚さの象徴としても描かれた。


・不和
‐壊れてしまった調和
リュートの弦は恋人夫婦の絆、調和のシンボルとされたが、弦が切れたリュートが描かれた場合は人間関係の不仲を意味する。

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弦楽器と管楽器を「聖と俗」と分類する発想は日本には無いような気もします。小松先生は「民間には琵琶の伝承が少ない」と言っているので、関係はあるかもしれませんが、宮廷音楽である雅楽などでも笛の類は多い気がするので、管・弦で明確な差があったかどうか。

製造・修繕が容易かどうかというと、管楽器の方が楽そうなので、そういう面では頷ける部分もあるのですが。

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アポロとマルシュアスの伝承は非常に面白いと思います。
弦・管、聖・俗の対応のみならず、そこに「理性」と「感情」を分けて考える辺り、西洋的な気もします。

弦楽器の特徴として、「引きながら話ができる」という点があげられる気もしますが、それもまた「理性」の象徴として受けとめられた面があるのだと思います。

そう言えば日本でも神下ろしの道具として「梓弓」などありますが、西洋では弦楽器のそういう使われ方もあったのでしょうか?

小松DBで調べたところ、「鳴弦」という弓の弦を弾いて治病・僻邪・憑物落としなどを行うという儀礼が幾つかヒットします。江戸時代の随筆から、民間伝承までありますが、弓矢という本来の武器としての意味が強いのかもしれませんが、音がその力を示しているとは言えるでしょう。

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日本の弦楽器の伝承は確かに少ないようですが、面白そうなものを三つ挙げておきます。

1三弦の名手が品川へ行くと弦の音が変わった。異変が起る予兆だと考えたので、友人を連れて帰ったが、その後津波が来て多くの人々が死んだ。

2歌かきの幽霊の誘いに乗って三味線を弾くと弦が切れて、命を取られる。(鹿児島喜界島)

3琵琶法師が水辺で琵琶を弾いていると若い女が現れてそれを聞く。その女は蛇で、これから洪水を起こして村を潰すという。琵琶法師は村人にそれを伝えて救ったが、自分は死んでしまった。村人たちは琵琶法師を祀った。(山形・新潟・福島)

3は高僧の読経を聞きにくる龍女伝承に近いものがありますが、仏教説話にはなっていません。

西洋絵画の象徴 「矢」


「避けられない恋の矢」「聖人を殉教に追いやる矢」。中世では死病は神が放った矢であると考えられ、人間に災いをもたらすシンボルとして描かれた。


・キューピッドの恋の矢
愛の神キューピッドの恋の矢。『変身物語』によるとキューピッドは金製の「恋をかきたてる矢」と軸内部に鉛が入っている「恋を去らせる矢」の二つの矢を持っており、これを射られた者は本人の意思とは関係なく恋心を左右されるという。


・ディアナ
‐狩猟の女神
月と狩猟の女神ディアナは弓矢を持っており、猟犬を連れた姿で描かれる。


・宗教的な愛
‐アビラのテレサの恍惚
16世紀スペインの修道女聖テレサは天使が放った燃える矢で心臓を射ぬかれる幻視を見たという。これは男女の愛ではなく、宗教的な愛を意味するとされる。


・聖セバスティアヌス
‐ペストの守護神
古代、疫病の原因は弓矢の名手アポロが放つ矢であると考えられていたが、その矢から人間を守るものとして聖セバスティアヌスが信仰された。
彼は3世紀末のローマ軍人だが、キリスト教だったために皇帝ディオクレティアヌスの命で全身に矢を放たれ処刑された。しかしその矢は全て急所を外れており、聖セバスティアヌスは奇跡的に一命をとりとめたという。
その後、キリスト教の信仰を告白した聖セバスティアヌスは更に棍棒で撲られたために殉教するが、矢を受けても死ななかったことから、疫病を鎮め、神に取りなしをしてくれる聖人として崇拝されるようになった。
14世紀以降、ペスト流行時にはペストから人々を守る守護神として多くの絵が描かれた。

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「恋の病」と良く言いますが、恋も病気も似たようなものだという認識は今も昔も変わらないということなのだと思います。

クピドの恋の矢が二本あるというのは知りませんでしたが、「熱して冷める」恋の感覚を「金と鉛」で象徴しているというのは面白いところです。

仏教の愛染明王も弓矢を持っていますが、やはり男女の愛情や縁結びと関連して説明されているようです。
しかしそれは「矢を受けたような衝撃」を表しているわけではなく、弓矢セットで用いられることから、「敬愛」や「融和」を基本としているようなので、クピドが司るような「移ろいやすい恋」とは違うもののようにも思います。

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アラビアのテレサの伝承は「信仰への目覚め」の表現として「矢が心臓を貫いた」というヴィジョンを得ているわけですが、これは生活の中に宗教が染み込んでいる日本人の感覚では分かりにくいですね。

仏教的な発心譚にもこのようなものがあるのでしょうか?その手の伝承はあまり詳しくありませんが、夢で発心に至る場合もあったと思います。でも仏に諭されたり、恐ろしい夢を見たりといった、もっと具体的な表現をすることが多そうな気もします。テレサ伝承のような比喩的な表現もあるのでしょうか?

それとも「クピドの矢」=「恋の矢」のアナロジーとして、「宗教的な愛の目覚め」を矢によって表現しただけなのでしょうか?
しかしそれだとその宗教心も簡単に消えてしまいそうな気もします。

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聖セバスティアヌスの絵画はよく見ますが、私はてっきり弓矢を受けて殉教したのだとばかり思っていました。
しかし軍人という出自もあってかたくましい体つきで描かれているのは意味ありげだと思います。その肉体に矢が何本も刺さっているというのは、ある意味官能的にも思えるからです。一部の女性(或は男性にも?)には人気のある主題だったかもしれません。

矢を受けても死ななかった聖セバスティアヌスが「病の矢」から人々を守ってくれるというのは自然な信仰のように思います。軍人出自というのも、頼もしい感じがしますし。

しかし解せないのは、「車輪」のカタリナもそうですが、一度は奇跡によって助かるのに、どうして結局殺されてしまうのか?ということです。
「神は奇跡の力を見せるだけで、結局は人を救わない」。そんな風に穿った見方をする人もいそうな気がするのですが。

一方で「殉教してこその聖人」という観念が初期キリスト教にはあったのかもしれない、とも思います。
信仰は決して血統や習慣によって受け継がれるものではなく、「死」という個人の人生において証明されるという。

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アポロの矢が疾病の原因であるという話があるようですが、この辺が良くわからない所です。もともとは「芸術の神」「羊飼いの守護神」「光明の神」「遠矢の神」とのことで、太陽神となったのはヘリオスとの融合以後らしいですが、「太陽が病気の元である」という発想が良くわからない。それとも「神罰」という意味でしょうか?

アジアでは射日神話がたくさんあり、太陽の方が射られます。しかし一方で、太陽光を「針」と表現する神話も結構あるので、その眩しさが鋭い金属の輝きと重ねられたのは自然なことのようにも思います。

記紀神話ではスサノオに対したアマテラスが弓矢で武装するシーンがあります。これをデュメジル神話学の解釈で「主権の象徴」とする説もありますが、日本にも「太陽の矢」の観念が存在した可能性はあると思います。



小松DBで「矢」について検索するとかなりたくさんヒットしますが、目立つのは「白羽の矢」。

1「白羽の矢」が落ちた場所に社を作った。
2「白羽の矢」が天から降ってきたので神社に奉納した。
3人身御供を出す家に「白羽の矢」が立つ。
4金鶏を掘り出そうとすると「白羽の矢」が飛んで来て邪魔をする。
5「白羽の矢」で大蛇・悪龍退治。
6虚空蔵菩薩から得た「白羽の矢」で鬼退治。
7「白羽の矢」の夢を見て妊娠。

1・2は神意を示す矢ですが、3人身御供伝承も神意を表すという意味では同じ。3猿神退治は長野・静岡を中心に分布。
5も幾つかありました。スサノオ伝承のイメージが強いので、剣で殺すのが普通な気もしますが。
6虚空蔵が矢を持っているというのは印象がないですが。
7「白羽の矢」で妊娠するというのは賀茂社縁起の系譜かもしれません。

ディアナの象徴が弓矢であるとありますが、日本でも神奈川山梨辺りでは竹で弓矢を作って「山の神」に奉納する行事があるそうです。その「山の神」が「女神」「狩猟の神」であるかはわかりませんが、底通する観念があるでしょう。

西洋絵画の象徴 「鍵」


「権力」や「秘め事」を表す。密室で行われる男女の不貞を暗示する場合もある。


・家庭を管理する主婦
‐女性への教訓を暗示
家庭をあずかる主婦の地位を象徴するものとして描かれる。


・男女の秘め事
‐姦淫の罪を戒める
男女の秘め事の象徴。ボス『快楽の園』には巨大な鍵の拷問具が現れるが、これは姦淫の罪を暗示していると解釈されている。


・冥府降下
‐聖人たちの魂の解放
十字架刑で死んだイエスが、復活するまでの間に辺獄(地獄でも天国でもない場所)で善良の人々の魂を助けるという話がある。イエスは悪魔に打ち勝ち、イエス誕生以前の聖人たち(旧約の聖人たち)の魂を解放したとされる。
この物語の絵画化では、「悪魔を踏みつけるイエス」「蝶番が外れた門」「破壊された鍵」が描かれる。また「白地に赤十字の旗」を手に持つこともある。

・聖ペテロ
‐天国の鍵を授けられる
新約『マタイによる福音書』。イエスが第一の弟子聖ペテロに「天国の鍵」を授ける。その時イエスは「私はこの岩(「ペテロ」は石の意)の上に私の教会を建てる。天の国の鍵を授ける」と語ったという。このことから聖ペテロのトレードマークは一つもしくは複数の鍵になった。
聖ペテロはキリスト教団を設立したとされているが、カトリックは彼を初代ローマ教皇と見なしており、上記の物語はローマ教皇の正統性を示すものとされている。


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日本では鍵はあまり一般化していなかったのではないかと思います。閂が普通じゃないでしょうか?

唯一思いつくのは稲荷の狐が咥えている鍵ですが、玉と鍵がセットになっていて「陽・陰」「天・地」を表しているとも言います。また鍵は稲荷の霊力を得るという意味があるようです。
しかしこの説明はどうもピンときません。稲荷の狐が咥えているものは「稲穂・巻物・玉・鍵」と四つあるそうなので、「玉・鍵」だけセットで考えるというのは本来の解釈なのか疑問です。

主婦権の象徴としての鍵、というはなしですが、女主人が家内のことを司るというのは西洋でも同じなのですね。どちらかというと執事まかせなイメージがあったのですが。

また「鍵が男女の秘め事の象徴」というのも、日本的感覚では良くわかりません。
というか日本における「不倫の象徴」とか「不倫につき物のモチーフ・プロット」というのが全く思いつきません。さらに言えば「不倫」が登場する説話自体思い出せません。私がそういうものに興味がないからかもしれませんが、『源氏物語』など平安文学を細かく読んでみると何かあるのかもしれません。悪い意味はあまりなさそうですが。

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十字架刑後のイエスは三日目に復活したと言いますが、二日間は辺獄(リンボ)にいたそうです。しかしこの「辺獄」は正統の福音書には全く言及がないそうで、外典『ニコデモの福音書』にある伝承。
「旗」は復活の図像でも必ず描かれるようです。

気になるのは「辺獄」なる場所に「門」があり、それを破壊して旧約の聖人・父祖たちを「救出している」ということです。旧約の聖人たちはなぜ辺獄に捕らわれていたのでしょうか?
まあともかく新約と旧約の関係性を明確に表した伝承で、興味深い解釈だと言えます。

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「天国への階段」「天国の門」というのもありましたが、鍵も「天国への鍵」というのは面白いですね。また階段のほうも石がありましたが、ここでも石が聖地の中心=教会の礎になっています。

「ペテロ」という名前自体も「石」という意味だと言いますが、なぜそんなに「石」を重視するのか?その「石」とはその辺にある普通の石なのか、ある場所にある、形状や色などが特殊な「石」なのか?
石というのはどこにでもあるものですが、それが聖なるモノ・聖なる印であるというのは不思議です。不思議ですが、その手の伝承はよくあります。神社の創建伝承などでも、その礎の石を語ることがありますし。

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折角初代教皇ペテロの伝承が出たので、まとめておきたいと思います。

・ガリラヤ湖で弟アンデレと共に漁をしていたところ、イエスに声をかけられて、二人とも使途になった。「人をすなどる者にしよう」と言われる『マタイ』『マルコ』
・イエスがゲネサレト湖を渡るとき、ペテロの船に乗ったのが出会いだという説も。『ルカ』
・元の名は「シモン」だったが、「岩」を意味する「ペテロ」という名前をつけられる。
・出会ったときにはすでに高齢だったとも。
・イエスはペテロの姑を治療した。
・ペテロは弟子の中でも常に先頭にあげられ、イエスの問いかけに答えるなど、弟子たちを代表するような振る舞いをする。
・「イエスの変容」を見たのはペトロ・ヤコブ・ヨハネの三人のみ。
・イエスによって天国の鍵を授かる。『マタイ』
・エルサレムにおいて使徒のリーダーとしてイエスの名の下に奇跡的治療を行う。
・湖上を歩くなどの奇跡を示す。
・ゲッセマネの園でイエスが祈っていたとき、居眠りをしていた。『マタイ』
・イエスの受難の日、周囲からイエスとの関係を問われて「私はイエスという人物を知りません」と三度答える。これは最後の晩餐後イエスが予言していたことで、「ペテロの否認」と言われる。
・イエスの復活時、墓へいったのはペトロ・ヨハネのみ。復活したイエスから「私の羊を飼いなさい」と言われる。
・ローマでの迫害を避けるために避難しようとしたとき、アッピア街道でイエスに出会う。「どこへ行くのですか?quo vadis?」とと問うと、イエスは「あなたが私の民を見捨てるなら、もう一度十字架に架けられるためにローマへ」と答えた。ペテロはその言葉を聞いてローマへ戻った。
・ローマでネロ帝の迫害にあって逆十字に架けられて殉教する。


※カソリック教会ではペテロを初代ローマ教皇と見なし、教皇職を「ペテロの座」とも賞する。

※サンピエトロ大聖堂はバチカンの丘・ペテロの墓と言われている場所にたてられている。1939年の調査によるとギリシャ式記念碑が発見され、墓参者によるペテロへの祈願がかかれていた。また中央部から丁寧に埋葬された男性遺骨が発掘された。この遺骨は古代王の色とされていた紫の布で包まれていた。1968年にはローマ法王パウロ6世がペトロの遺骨であると公認した。

以上、ペテロの伝承として有名なものだけを取り上げましたが、全体を見て思うのは「ローマ教皇=カソリック教会の始祖としてもっとふさわしい聖人がいたのでは?」ということです。
「師の説教中に居眠り」はキリスト教徒の模範となるべき人物としてはダメですし、師の危機に知らんぷりを決め込むというのは深刻な裏切りだといえます。


イエスに「天国の鍵」を授けられたことがペテロを初代教皇とすることの最も大きな理由なのだとは思いますが、そこだけ他の使徒に割り振ってもかまわないはず。あるいは中国の古帝王神話のように「鍵の禅譲」を伝承化することもできたはずです。

ペテロ以外の使徒でもっとふさわしいと思われる人もいたでしょう。ペテロの弟アンデレでも良かったと思います。あるいは洗礼者ヨハネでも良かったかも。他の聖人・殉教者も居眠りなどせず、死も恐れずに信仰を貫いた人ばかり。

にもかかわらず、ペテロ。
これは「何となく」ではなく、積極的な意味がある人選のはずです。神話なので、意図的か否かはわかりませんが。

初期キリスト教団がどのように信者を獲得してきたのかというのは、専門家ではない私にはわかりませんが、病人や弱い立場の人々・女性たちが最初の改宗者たちであったというのは確かでしょう。

古代社会において病気治療は重大な関心事であったと思いますが、イエスがペテロの姑を癒し、ペテロもイエスの名のもとに奇跡的治療を行っているというのは、ある種キリスト教の正統的な在り方を受け継いでいると言えます。
とは言え、他の使徒たちが奇跡的治療を行わなかったというわけでもないでしょうから、ペテロ一人の特性とは言えないでしょうが。

女性の改宗については多くの資料があるようです。アンデレはアカイアの総督に処刑されますが、総督の妻はキリスト教徒へ改宗させています。またローマがキリスト教を国教とする過程では、コンスタンティヌス一世の母ヘレナが非常に信仰心の強いキリスト教徒であったことが影響していたはずです。
ただこれについてはペテロと関係ないですね。

ではペテロの特性とは何かというと、残念ながら「ペテロのダメな所」ということになってしまいます。
これいうとキリスト教徒を敵に回しそうですが、「ペテロはダメだからこそ初代教皇にふさわしかった」と考えるべきなのかもしれません。居眠りしたり、自分の命欲しさに知らん顔をしたり、逃出したりする。しかしそれでも最後は信仰のために殉教するのです。

初期キリスト教団が「初代教皇ペテロ」に託したもの。それは罪を犯した/これから罪を犯すかもしれない人間であっても信仰の力によって、「天国の鍵」を得ることができる、という希望だったのかもしれません。



初代教皇ペテロについて長々書きましたが、実を言えば天皇王権との比較を考慮したものです。

教皇を王権と言っていいのかどうか微妙ですが、両者は似ている部分もある。それは「神との関係性において成立する祭祀王」であるということ。「その権威によって世俗王を承認する」こと。また「長く続いている」ということ。
「天皇王権の持続性」は私の研究テーマの一つです。

さらに言えば、両者は「過ちを犯しても、正統を取り戻すことができる」ということを神話中で主張している点で似ています。
ペテロは個人の人生の物語によって。天皇は世代を経るごとに正統の危機と回復を繰り返し語ることによって。

悪く言えば両者ともに予め予防線を張っているとも言えますが、そんなことを意識的にやって、現実に現代まで継続しているのだとしたら、それこそ奇跡的だと言えます。
両者ともに時代の荒波にさらされながら、現代まで継続しているというのはある種時の運というか、偶然の産物ではあるのでしょう。

しかし両者に共通する「負の伝承を排除しない」という神話的特徴が、どういう意味を持つのかということは面白いテーマだと思います。

「そう言えばアーサー王物語も王の話なのに、ずいぶんダメなこと書いてあるよな」と、ふと思い出して調べてみたところ、ヘンリー7世を通じて、一応現代イギリス王室とつながっていると言えなくもありません。
イギリス王室がアーサー王伝承についてどのようなスタンスを取っているのかは知りませんが、英国文化の深いところに根付いているのは確かです。

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