首
神話画、キリスト教画において斬られた首を描かれる人物は、敵将、聖職者、詩人と様々である。
・サロメとヨハネ
‐継父から娘への御褒美
新約『マルコによる福音書』。イエスに洗礼を授けた「洗礼者ヨハネ」は古代イスラエル領主ヘロデの妻ヘロディアから恨まれていた。ヘロディアは元々ヘロデの兄弟の妻だったため、洗礼者ヨハネがヘロデとの結婚を批判したことが原因である。
ヘロデの誕生日の宴会で、彼等の娘が見事な踊りを披露したので、ヘロデは褒美を与えることにしたが、娘は母の言う通り洗礼者ヨハネの首を要求した。その爲洗礼者ヨハネは斬首され、その首は盆に載せて娘の元へ運ばれた。
後にこの娘はサロメと呼ばれるようになり、サロメと洗礼者ヨハネは絵画の主題としてよく描かれた。
・ユディトとホロフェルネス
‐勇ましい寡婦
旧約聖書続編『ユディト記』。ユディトは美しい寡婦だったが、ユダヤの街ベツリアがアッシリア軍に包囲されたおり、ユディトは着飾って敵将ホロフェルネスに取り入り、酒に酔わせて首を切り落としてベツリアに帰還した。ユディトは敵将の首と共に剣を持って描かれる。
・ダヴィデとゴリアテ
‐石で大男を倒す
旧約『サムエル記上』。イスラエル王ダヴィデは元羊飼いであったが、敵対するペリシテ人の戦士ゴリアテの額に石を命中させて倒した。その後ゴリアテの剣でとどめを刺し首を切り落とした。
・トラキアの娘とオルフェウス
‐妻一筋
『変身物語』。伝説上のトラキアの詩人オルフェウスは妻エウリュデゥケを生き返らせようと冥界に降るが、振り返ってはいけないという禁を破ったために失敗する。その後オルフェウスは女性との関係を断ったのでトラキアの巫女たちの怒りを買い八つ裂きにされて死ぬ。その首を拾ったトラキアの娘の絵画が描かれている。その後オルフェウスの霊は地下へ下り妻と再会したという。
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ギュスターヴ・モローが好きなので、サロメの物語は知っていましたが、そもそも聖書には名前がなかったのですね。知りませんでした。
寡婦が死んだ夫の兄弟と結婚する慣行をレビレート婚(レビラト婚とも)と言いますが、ヘロディアの場合は死別したわけではなく、ヘロデと恋仲になったので離婚したのだとか。
wikiによるとユダヤ・モンゴル・チベットなどではレビレート婚は一般的だったそうですが、やはり死別と離婚では大きな違いがあるのだと思います。キリスト教はレビレート婚そのものを認めていないそうですが。
しかしよく見るとサロメ自体は母親の言いつけを聞いただけで別に悪くないような気もします。まあ悪意がなくても男を死に導くという意味ではまさしく「ファムファタール」であると言えますが。
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ユディトとダヴィデの話はどちらも敵の首を切り落とした勇士の話です。
ユディトの絵画はカラヴァッジオ・クラナッハ・クリムトと有名なものがたくさんありますが、どれも美しい女性として描かれています。男を誘惑し殺す女というのは画家にとっては魅力的な題材なのでしょうか?
ダヴィデはあえて鎧と武器を捨て、羊飼いの杖と投石器だけ持ってゴリアテに相対したと言います。またその時に「イスラエルの戦の神の名において戦う」と宣言したそうです。つまり神の加護によって勝利したということです。
ゴリアテは身長3メートル近い巨体であったと言います。
どちらも首を切り落とすことに宗教的な意味があるようには見えません。敵軍のリーダーを殺したことを証明するという意味しかないような気もします。
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有名なオルフェウスの神話ですが、トラキアの娘がオルフェウスの首を持っている絵画はギュスターヴ・モローも描いています。
その絵を見ると、娘は竪琴を持ち、その上に首を置いています。恐らく首と竪琴を埋葬しようという、そういう場面なのだと思います。「オルフェウスの首塚」とかありそうですが、どうでしょうか?