神話伝説その他

神話・伝説・昔話の研究・翻訳ブログ。日本・台湾・中国がメイン。たまに欧州。

台湾タイヤル族

桃園県復興郷タイヤル族の伝承 「太陽を射て、昼夜を分けた話」

「太陽を射て、昼夜を分けた話」

昔の老人たちが伝えてきた話がある。太陽を二つにしたという話だ。
太陽が生じた後、毎日が正午のように暑かった。半年近くの時間が過ぎて、太陽が山へ沈んだ後、半年間は全くの暗黒だった。そこで人々は非常に不便を感じて困った。太陽が出ている正午の時は非常に暑い。全ての農作物がほとんど枯れ死した。人々の生活は非常に苦しかった。夜になると完全に暗くなった。草もよく見えない。草ではなくてミミズのようだった。多くの人が考え討論したが良い解決方法は考え付かなかった。しばらくたって、ある人が言った。「どう思う?我々は太陽を半分にする。そうすれば昼と夜ができるんじゃないか」。皆彼の意見を受け入れえて太陽を二つに分けることにした。
彼等は壮健な三人の若者を選んで、それぞれに赤子を背負わせた。また道すがら蜜柑の種を植えて行った。彼等は止まることなく前へ進み続けたが、まだ日の出の場所に着く前に三人とも白髪になってしまった。出発した時は若くたくましかったが、太陽に近づいた時には三人とも死んでいた。残ったのは最初背負っていた赤子たちである。彼等は皆成長して成人になっていた。彼らがこの事業を続けた。
成人になったこれらの若者達は決死の思いを秘めていた。日の出の場所に着くと太陽を二つに分けようとした。
しかし非常に熱く、目も開けていられない。そこで彼等は石の後に隠れて弓を引き、「ポー」と太陽を射ると、血がわっと流れ出した。流れ出した大量の血が一人に降り注いだ。
他の一人は太陽の血を被らなかったので、別の方から帰った。帰り道では道沿いに播いた蜜柑を食べた。
家に着いたときには白髪の老人になっていて、非常に疲れた様子だった。
彼らが太陽を射た後から、昼と夜が分かれた。昼には太陽が出て、夜には月が出た。人々は良い生活を送れるようになった。

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いわゆる射日神話ですが、太陽の数などは事例によって異なります。

今回の事例では、太陽は一つだけなのですが、一年の半年が昼で、半年が夜、という非常に極端な昼夜の分割が原初の状況として語られています。
こういう事例は他にもあったと思いますが、数は少ないと思いますね。

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タイヤル族の射日神話の特徴の一つが「遠征隊」です。

太陽が上る場所は地の果てにあると思われていて、そこまで行くのに何十年もかかります。青年が老人になって死に、彼らが背負って行った赤子が老人になってようやく帰ってこられる。そんな大事業なのです。
また道すがらミカンを植えたりするのもお約束ですね。

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太陽の血のモチーフはたまにありますが、日本のカグツチ伝承ののように太陽の血が石にかかったなどと描写する事例もあり、火打石の起源伝説なのではないかと感じさせるものもあります。
今回はそういうのはありませんが。

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そして、この伝承の結論は昼夜の正常な分離と月の出現ということになります。
月はいつの間にできたのか?採集者はその辺突っ込んでほしかったですね。


タイヤル族 烏来郷 「なぜここを「烏来」と呼ぶのか」

「なぜここを「烏来」と呼ぶのか」


百五十年前、我々の祖先は南投を出発して桃園をへて、陽明山、新店を経て、さらに河谷にそってここ烏来へやってきた。烏来に入る前に遠くの山谷に煙が見えたが、火は見えなかったので、不思議に思った。その後渓谷に沿って歩いているとある場所で足が水につかったが、とても熱かったので「ウライ、ウライ」と叫んだ。

これはタイヤル語で「熱い、熱い」という意味である。後に少し音が変わって、我々はこの場所を「ウライ」と呼ぶようになった。


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前回とも関係ありそうですが、「烏来」=「ウライ」という地名の起源伝承です。やはり温泉と関係がありますね。


ウライの訳としてここでは「熱い」と書かれていますが、ウィキによると「熱湯」と書いてあります。清代には「湯社」という意訳の表記もあったようです。


時代を150年前としていますが、清代に移住というのはほぼ定説のようですね。

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さてここ十数回、台湾新北市烏来郷に居住するタイヤル族の神話伝説について書いてきました。

この地域は台北市からもバス路線がある場所で、観光化が進んでいます。温泉があるので、日本時代も結構多くの人が行ったと思います。本書の情報はちょっと古いですが、タイヤル族は50%ぐらいだそうです。

烏来の神話については今回で終わります。
原書名は『台北県烏来郷泰雅族民間故事』。著者は金栄華、80年代ぐらいから再び現地調査をして新しい神話集を出している台湾民間伝承研究者ですね。

タイヤル族 烏来郷 「加熱食のはじまり」

「加熱食のはじまり」

昔ある狩人が傷ついた獲物を追っていて、清流園一帯まで来た。獲物は洞穴に逃げ込んだが、狩人も追っていって洞窟に入った。彼は洞窟内に入るととても熱く感じた。しかも良い香がする。良くみると、多くの獲物が洞窟内の温度によって焼かれていることがわかった。ラン勝橋から清流園までの約一キロは温泉地帯だったからである。これ以後我々タイヤル族は獲物を煮てから食べるようになった。以前は生のまま食べるか、太陽に当ててから食べていた。


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食べ物を熱するというのは人間の文化の最初の一歩と言ってもいい大事件です。


もちろん「人間と動物の差は何か?」という問いかけには様々な答えがありえると思いますが、神話においては「火の起源」が第一です。そして神話における「火」とは往々にして加熱食の起源につながります。

つまり、生のものを食べるのは動物で、火にかけたものを食べるのは人間ということです。レヴィ=ストロースの『神話論理』第一巻は『生のものと火を通したもの』ですね。


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しかし、この伝承は火の獲得を語る伝承ではありません。
地熱?の発見を語る伝承です。そして温泉発見伝承でもありますね。


当たり前ですが、地熱も温泉も自然の中の「火」による熱です。火の起源神話にも色々なタイプがありますが、人間が関与しなくても熱を持っている、つまり「文化の初めの火」というよりもほぼ「自然の火」なのです。


台湾原住民の文化起源神話は、時々こういう「自然の中で発見する」タイプの伝承があります。サイシャットの穀物起源神話「草叢で稲を発見した」とか神話と言えるのかどうか微妙なものまであります。
「自然的すぎる文化起源神話」とでも言いましょうか?


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ただ、この伝承は烏来独自のもので、その意味では非常に面白いとも言えます。地熱による加熱食というのもやはり特殊だと思いますし。


他に温泉が有名な原住民の観光地に南投県の東埔があります。ブヌン族の居住地域にある温泉地ですが、この烏来の伝承のように温泉を前面に押し出した話もあるかもしれません。

タイヤル族 烏来郷 「我々はなぜ桂竹を植えるのか」

「我々はなぜ桂竹を植えるのか」

我々タイヤル族の自称は「熊の民族」である。これは我々が熊から変化したということではなく、我々が熊に対して畏敬の念を持っているということである。かつて子供がまだ小さい頃、父母が畑仕事に行ったり、漁や狩りに行くときに家で子供のめんどうをみる人がいなければ、子供を背負って一緒に行った。しかし父母が仕事をしているときにずっと子供を背負っていることはできないので、自分で織った麻布を木につるして、それをハンモックとして中に子供を入れて仕事をした。
ある日、ある父母が子供をハンモックの中に置いて仕事に行ったが、かえってくると子供の姿が見えない。実は熊が抱えて行ってしまったのである。しかしこの子どもは熊に傷つけられることはなく、熊に養われて大きくなった。後に皆が狩に行ったとき、その熊に育てられた子供にあい、どこの部落の誰の子供であるかと尋ねて、彼があの失踪してずいぶんたったあの子供であることがわかった。彼は我々に熊の習性について教えてくれた。彼は、熊は剣竹を好んで食べ、人を傷つけることはないと語った。そこで我々タイヤル族の祖先は熊を狩ってはいけないと言い伝えてきたのだ。
しかし我々はやはり熊が我々の部落に接近してくることを恐れた。熊が剣竹を好んで食べる食べることは知っているが、剣竹はとても高い場所に生えるもので、我々はそれを植えて熊に食べさせることができない。そこで桂竹を代わりに使ったのである。もし我々が移住するときには、必ず伝統に倣って、先に移住する場所に竹を植えて、二三年後にまた行って家を建てる。家は竹で覆い、四方に囲むように竹を植える。この意味は我々が深山に住んでいて、これは熊の縄張りであるということを表している。あの熊に育てられた子供は熊が人を傷つけることはないと言ったが、我々はやはり熊が怖いのである。だから桂竹を植えて熊を歓待する。だから現在我々タイヤル族が住んでいる山地にはあんなにも多くの桂竹があるのである。

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猛獣が人間の子供を養育する話というのは結構あります。ローマ建国神話・突厥建国神話などでは狼です。中国南部では虎とかあったと思います。また高句麗の朱蒙などはいろいろな動物に育てられています。


この伝承では熊になっています。「タイヤル族と熊」というのは「パイワン族と百歩蛇」ほど明確な結びつきを持っているとは思えませんが、こうして具体的な伝承事例があるということは、少なくとも烏来郷ではそういう意識があったということですね。


このような「動物に育てられた話」というのも中国の研究者はすぐにトーテミズムにしてしまうわけですが、この伝承ではタイヤル族は熊が変化したものではないとはっきり言っています。


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この伝承に比較的近いのは「ルカイ族とユンピョウ」の関係性だと思います。また一部のパイワン族と鷹の関係性にも類似点がありそうです。


ルカイ族の狩猟ではユンピョウは捕らないことになっている場合もありますが、捕った場合は村落外の洞窟で厄落とし?的な籠りを行うなどという規定があります。それは人間の首狩をしたときと同じですが、熊を狩った場合も同様の籠りをしなければならないという規定があったりします。


つまり熊・ユンピョウは人間と同じ扱いをされているということですね。


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台湾原住民には熊と豹の体の色に関する伝承がありますが、ヤミを除いたほぼ全ての民族にあったと思います。熊という動物への関心の高さを表しているといえるでしょう。ただ熊を始祖とする民族はいませんね。


世界的に見ると熊を特別視する民族は結構いると思うのですが、私が研究している日中台湾ではそれほど多くありません。いや正確に言うと儀礼や信仰などでは熊を特別に扱うことが多いのですが、熊にまつわる神話伝説が思ったより少ない気がします。


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それにしても熊に育てられた子供が英雄や王にならず、単に人間に熊の生態を伝えただけというのもちょっと物足りない感じはします。
もちろん狩猟動物の制限というのもタイヤル族の生活において重要なことではあると思いますけどね。

でも竹を食べるというのはパンダのようですが、実際に主食にするほど食べているのでしょうか?

タイヤル族 烏来郷 「カササギ」

「カササギ」

昔々、ある二人の人がいた。名前はダバとワダンと言った。山の中に罠を仕掛けて一週間後に見に来ようと約束した。一週間後、彼らはサツマイモとタロイモを持って、猟犬をつれて山に罠を見に行った。
彼らが歩いていくと、突然樹上から二羽のカササギが飛び出して彼らの前で止まった。ダバは「これはどういう意味だろう」と考えた。ワダンは言った。「はっ。これは良い予兆だ。見ろ。二羽のカササギは我々を暗示している。見に行く罠にはきっといい獲物が掛かっているぞ」。ダバはそれを聞いて嬉しくなったが、半信半疑だった。彼らは太陽が沈む頃になってようやく仕事小屋に到着した。この時ダバがまた尋ねた。「お前は我々がカササギを見たのは良い獲物があるからだと言ったが、あれは本当か?」。ワダンが言った。「本当だ」。しかしダバはやはりあまり信じられなかった。
二日目の朝早く、彼らは仕事小屋から出発して罠を見に行った。いくつかを見た後、やはり一つの罠に鹿が掛かっているのを発見した。その後イノシシが掛かっているのも見つけた。
三日目の夕方、彼らは村に帰って、隣近所を招いて獲物を分けた。酒を飲んでしゃべっているとき、途中でカササギにあった様子を皆に話した。すると皆はカササギにそのような幸運の予兆があるということを初めて知った。これ以後、我々タイヤル族はカササギを「神鳥」と呼ぶようになった。


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前にもありましたが、タイヤル族で鳥占といえば「シリヤ」という鳥なのですが、ここではカササギが予兆を示しています。烏来郷独自のものか?タイヤル族全体でもそうなのか?わかりません。


ダバとワダンという二人の男が出てきますが、なぜワダンはカササギの予兆を知っていたのか?全く説明されません。


ただ二人組みの男が行動を共にしつつ、違ったことをする、というのは昔話などでもあるパターンだとは思います。まあ普通は片方が失敗したりすると思いますが。


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カササギは漢族の伝承でも良い意味を象徴する鳥です。七夕伝承で銀河に橋を作るのもカササギですね。


中文ウィキによれば、カササギは幸運と福気の象徴であり、「カササギが梅に登る」場面を描いた絵画がたくさんあるそうです。縁起物、ということでしょうか。


カササギを吉兆を表す鳥と考えるのが、タイヤル族の中でも烏来郷だけだったとしたら、それは漢族の影響を受けたからというのも考えられると思います。

タイヤル族 烏来郷 「烏とガビチョウの試合」

「烏とガビチョウの試合」

昔々、山頂に大きな石があった。烏は自分は力が強いと思っていたので、ガビチョウに言った。「我々は誰があの山頂の大石を動かせるか試してみよう。動かせた方が兄貴だ」。ガビチョウは承諾した。そこで烏は高いところに飛んでいって、「ヤヤヤ」と鳴きつつその石に突進した。しかし石は動かなかった。かえって烏の方が自分でぶつかって頭がくらくらして、嘴も歪んでしまった。烏は自分がぶつかってもあの石が動かないということが信じられなかった。そこでもう一度やってみたが石はやはり動かない。烏は倒れて息を荒げるしかなかった。ガビチョウに順番が回ってきた。彼は高いところまで飛んだ。しかしそれから仲間の大群を呼んだのである。大群のガビチョウたちは「シュウ」と一声空から石の傍らに向かって飛び、大石の下の泥を取った。すると大石は斜めに少し傾いた。これ以後、烏はガビチョウを兄貴と呼ぶようになった。 

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このガビチョウですが、鳥占の「シリヤ」はこれらしいです。タイヤル族では石生型民族起源神話においても活躍することがあります。

そして記憶が定かではないのですが、烏とシリヤが人類の祖先が入っている石を開ける競争をして、烏が失敗しシリヤが成功して人類が誕生するという事例があったと思います。 つまりこの伝承はその民族起源神話の石生神話の部分を欠落させ、単なる鳥の説話になってしまったものだと考えることができると思います。

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本書に載るシリヤ鳥に関する解説は以下の通り。

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(一)我々タイヤル族は占いに使う鳥を「シリヤ」と呼ぶ。これはメジロ・ガビチョウである。

(二)我々は狩りに行くとき、途中でもし一羽のシリヤ鳥が「ジジジ」と鳴いて飛んでいくのに会ったら、いってはいけない。きっと収穫はないからである。しかしもし一群のシリヤ鳥が「ジジジ」と飛んでいったら、それはきっと多くの獲物があることを示している。

(三) タイヤル族が結婚の申し込みをするとき、山の中でシリヤ鳥の声を聞く。もし一二羽が「ジジ」と鳴いていたらこの申し込みは成功しない。しかしもし一群のシリヤ鳥が「ジジジ」と鳴いていたら、これは今回の結婚申し込みがうまくいくことを表している。

(四) 占いの鳥を我々は「シリヤ」鳥と呼んでいる。もし今日我々が用事があって出かけるとする。たとえば結婚の申し込みに行くとき、途中でシリヤ鳥を見て、それが我々と同じ方向へ飛んでいったら、これは物事がだいたい成功することを示している。もし我々が歩いている方向を横切るように飛んだら、物事はだいたい失敗に終わるだろう。以前我々原住民は出かける前は人と喧嘩をしてはいけなかった。また妻と喧嘩をするのもだめだった。さもなければ、出かけても物事はきっと成功しないし、狩りもきっと獲物を得ることができない。

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ここでは狩猟と結婚について特に書かれていますが、どちらも結構重要なものですね。

その他戦争・首狩などでもこの鳥で占いをします。タイヤル族にとってはやはり特別な鳥ですね。

タイヤル族 烏来郷 「猿の物語」

「猿の物語」

かつて我々原住民は皆深山に住んでいた。日々触れあうものは植物か動物だった。猿と我々の関係は親しく、我々の友達だと言ってもいいほどだった。原住民の子供は猿と一緒に遊ぶのが好きだった。猿は機敏で飛び跳ねて果実を採ることができるので、別に餌をやる必要もない。だから我々原住民と一緒に住んでいた。
ある時、猿は怠けて一日中子供たちと遊んでいて、果物を取りに行かなかったのでお腹が空いて、その家の人が植えた甘藷を盗んで食べた。しばらくすると、猿はいつも子供と遊んで、自分では食べ物を取りに行かなくなった。そしてあろうことかこの家で植えていた甘藷を全て食べ尽くしてしまった。主人はとても怒って、思った。「私がお前を子供たちを遊ばせていたのは、お前に私たちが苦労して育てた物を食べさせる為ではないぞ」。そこで猿が樹上で熟睡している時、鋤の柄を取って力一杯猿の尻を叩いた。猿は叩かれて驚きの声を上げ飛び跳ねて深山へと逃げていった。しかし猿も怒って言った。「俺が怒ったら、お前たちの農作物は全部俺に食われることになるんだぞ」。だから今日まで猿は絶え間なく人の農作物を盗んで食べようとするのである。そしてその猿の叩かれた尻は今までずっと同じである。これが猿がどうして赤い尻をしているのかという理由である。


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猿の尻が赤い理由を説く伝承は昔話などでも良くありますが、やはり人間にとって猿というのはいろいろな意味で興味深い動物だったのだと思います。


ただ、この伝承は単純に猿の尻が赤いことだけを言っているわけではなく、猿が畑の農作物を食い荒らす害獣になったことの由来を説くものでもあります。
つまり単なる昔話というわけでもない。


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台湾原住民には、所謂「黄金時代の喪失神話」というのがたくさんあります。
基本的には農作物についてで、かつての人間は労働する必要がなかったという伝承です。収穫期になると自分から倉に入る「自動米」モチーフなどもあります。


またそれと同じ系統の伝承として狩猟の対象となる動物が人間の村まで自らやって来るというものもありました。毛を数本抜くとそれが肉になるという特殊なモチーフも良く付随します。


そういった伝承と比較して考えてみると、「猿の子守」というこの伝承も、人間と動物が仲睦まじく暮らしていた(人間の方に都合よく、という意味ですが)原初の世界がなぜ現在のように変化したのかを語った神話であると言えると思います。


タイヤル族 烏来郷 「怠け者の物語」

「怠け者の物語」


猿は人から変化したものだが、人は猿から変化したものではない。これはどういう意味か?
我々の集落にはかつて食べてばかりで働かない人がいた。狩りもしないし農業もしない。いつも家族に笑われていた。以前、耕作では山の上の比較的容易に得られる木を使っていた。センキュウのような木の枝である。それを切って鋤のような器具を作っていた。山の上に新たに開墾した土地の土は軟らかく、皆はそのような工具で耕作していた。土は柔らかかったが、その人はそのような楽な仕事すら怠けていたので、彼の家族が怒って言った。「じゃあ、お前は動物にでもなったらいい」。さらに木の鋤の柄で彼の尻を叩いた。その結果、鋤の柄が彼の尻に刺さってしまい、彼は深山へと逃げ込んで猿になった。


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人が猿になる話は台湾原住民には広く伝承されています。この話のように怠け者が猿になる話も多いですが、親の不在に羽目を外した子供たちが猿になってしまうというのもありますね。

以前サイシャット族の「人変猿」伝承についてはまとめたことがありました。引用します。

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「人→猿」

3子供達が猿に変わる。大人達が酒を飲みに出かけた時、子供達は置いていかれたことを怒る。餅で梁木部分以外の部屋の穴を塞ぎ、尻に帯を挿して猿になる。梁木の穴から外へ出る。(類話×1)

4六人の息子たちが猿に変わる。父母が畑仕事で外出している時、粟で作った餅で尻に腰帯をつけて後の窓から外に出る。木に登ると腰帯は尾に変わってしまい取れなくなる。父母が連れて帰ろうとするが山奥に逃げてしまう。猿の起源。

5血姓の子供が猿に変わる。両親は良く外で酒を飲んで子供の世話をしない。ある日遅く帰ってみると家の門が硬く閉まっていて子供の姿がない。近くに数匹の猿がいたので一匹捕まえてみると子供に良く似ている。悲しんでいると逃げられてしまった。

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サイシャットにも怠け者が猿になる話があったと思いますが、子供達が猿に変わる伝承が多いです。
「5」は血姓にまつわる氏族伝承になっていますね。

これはタイヤル族の伝承全体に言えることですが、他の民族に比べると非常に単純で、神話なのか昔話なのか判断しかねるものが多いということです。
今回の話も、一見すると怠惰を戒める教訓的要素を伴った昔話のように思えます。

まあそれならそれで問題ないのですが、厄介なのは現実的な狩猟儀礼と実は関係があったりする場合があることです。
やはり狩猟儀礼なども合わせて考える必要があると思います。

タイヤル族 烏来郷 「欲張りの結果」

「欲張りの結果」

昔二人の兄弟がいた。毎日鋤を持って父母とともに畑に行って勤勉に働いた。ある日、兄はある人と知り合って友達になった。友達の話は道理が通っており、兄は彼を信じた。一日一日と時は過ぎたが、兄弟二人は本分を守って勤勉に働いていた。
ある日、兄弟二人は畑で仕事をした。疲れたので場所を探して座って休んでいたが、この時兄の友人が突然彼らの前に現れたので、一緒におしゃべりをした。友人は言った。「村の老人に聞いたんだけど、この山の反対側にはたくさんの金銀財宝があるらしいよ。持って歩けないほどあるらしい。僕たちで見に行くというのはどうだい?」
「いいな!でも遠すぎる。どうやって行ったらいいかな?」と兄は言った。するとその友達は「問題ない。三羽の鷹が僕たちを運んでくれるよ」。彼は口笛を吹くと、本当に三羽の鷹が飛んできた。三人はそれぞれ鷹の足に捕まって、山の反対側へ向かった。
其処につくと本当に一面に金銀財宝があった。兄は思った。「こんなにたくさん。これはいい」。そして熱心に取って持ってきた袋に入れ始めた。弟は思った。「こんなにたくさんあるのだから必要な時に来て少し持っていけばいいだろう」。そこで適当に少しだけ取っただけだった。友達は何も取らなかったが兄弟二人に言った。「僕は先に帰るよ。君たちは好きなだけ取りな」
鷹がその友達をつれていった後、程なくして空が次第に暗くなって来た。弟は言った。「兄さん、もう良いかい?僕たちも帰ろう。遅くなるとお父さんとお母さんが心配するから」。「すぐ終わるから、もうちょっと待ってくれ。まだ入れ終わっていないんだ」と兄は答えた。
弟は言った。「たくさん入れすぎだよ。袋がいっぱいになっているじゃないか」。兄は不満げに言った。「わかった、わかった。じゃ行こう」。そこで兄弟はそれぞれ鷹の足に捕まって飛んで家に帰ることにした。しかし途中で、袋に金銀財宝を入れすぎてしまった兄は重すぎて鷹の足をつかんでいられなくなって、谷に落ちて死んでしまった。


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これは完全に昔話ですね。
話型はAT555A「太陽国」だそうです。英語では何というのか不明。


鳥、特に猛禽類が人を運ぶモチーフは私も注目しているものですが、昔話だと結構あるのかもしれませんね。
ただこの伝承の鷹は「友達」の所有物で、言うことを聞くものので、日本にある人間をさらっていく猛禽の伝承とは異なっています。

タイヤル族 烏来郷 「大力士グガン」

「大力士グガン」


以前、このあたりには力持ちの「グガン」という人がいた。彼は体が大きくたくましくて、食べるものも一日に大鍋の量でやっと満足するぐらいだった。家ぐらいの大きさの石を運ぶことができたので、我々はここの大きな石を全部彼に処理してもらったのだ。
後に我々タイヤル族は体が大きくたくましい人を「グガン」と呼んで、とても強いことを表すようになった。


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大力の男の伝承ですが、ここでは普通の族人として叙述されています。体の大きな人をその名前で呼ぶということですから、ある意味で英雄の称号のようなものでしょうか。


しかし台湾原住民に広く伝わる巨人伝承の巨人は基本的に普通の人とは対立して殺されるのが普通です。

この伝承はあまりにも短いので、巨人伝承との共通性は見いだせません。

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