神話伝説その他

神話・伝説・昔話の研究・翻訳ブログ。日本・台湾・中国がメイン。たまに欧州。

台湾サイシャット族

台湾サイシャット族 射日英雄 その三?

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本族にも亦古昔天に二日あり。其一西に没すれは他の一東に上り、交交世界を照して昼夜の別なかりしを説く。曰く我等の祖先其炎暑に苦みたるのみならす、夜と云ふものなきか故に少も安眠する時なく、且つタイヤル族絶間なく来襲せり。此に於て衆議太陽の一を滅して此苦を免れんことを謀り、即ち十四五歳の男子数人を選み太陽を征伐すへく西に向て進発せしむ。此等の童男は多量の餅を用意し、之を往くときの食糧とせり。而して別に蜜柑の苗若干を携へ往く往く路傍に植付けたり。斯て童男等は幾多の年月を経て漸く世界の西極に達したりしに、其時恰も太陽の一か地下に没せんとする所なりしかは其中の一人なるタノヒラ(日姓)の祖先は弓に矢を番へ太陽を的として放ちしに、其矢適中し、太陽は光を失し変して、今日の月と為れり。斯て一行はもと来し路を辿りつつ再ひ故郷に帰来せり。此時前に植置きたる蜜柑の樹は既に成長し至る所実を結ひ居りたるを以て、帰路には之を採て食糧と為したり。又此等の一行は最初故郷を出発せしときは何れも紅顔の童男なりしも、故郷に帰著せしときには既に白髪白髭の老翁と為り居たりと云ふ。斯て世界に始めて夜なるものを生し、我等は安眠することを得るに至れり。

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射日神話でもあり、日姓に関する氏族伝承でもあります。
で、なぜ「その三?」になっているのかというと、前に翻訳したものに余りに似すぎているからです。

いや、今回のものは昔日本の研究者が調べた時のものなので、こちらのほうが古いのですが。
以前翻訳したものは、2005年に出版されたものですから、採集時期も2000年に入ってからでしょう。

「同じ神話なんだから似ているのは当然じゃない?」という意見もあるかもしれませんが、言い回しとかモチーフに影響してこない部分にしか違いがないというのは、正直ちょっと違和感を感じたりします。
口承神話なのですから、もっとこう変化があるのが当然な気がするのです。

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しかし近年は原住民も自らのアイデンティティを求めて「勉強」する傾向があります。
資料をまとめた神話集なども出ていますし、日本時代の文献を読むために日本語を勉強するという人もいます。

従って、サイシャットの神話は、もとはあくまでも口承口伝えであったものが、現状では日本時代に採集された神話などを参考にして「正しい内容」に整理されていく可能性が高いです。記紀のような文献神話の成立と同じ過程を辿っているのかもしれません。

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でも、そうなると前回の射日神話にあった「不思議にも戻りの道も往と同じく西より東にとれりとや」といった説明できないようなモチーフは消去されていくかもしれません。

またサイシャットには氏族にまつわる伝承が多いですから、どうしても「正統性」を求めてしまう部分もありそうですね。

台湾サイシャット族 穀物起源神話 粟

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昔は木の実草の葉を食して生活せしが、或時一匹の狐断崖の下に来りて脱糞せしが、暫くして其中より一本の粟発芽せり。祖先等何物とも知らざれば、成長の後其実を取りて試食せしに味こよなく美なれば、携へて社に帰り、社衆に分ち与へて栽培せしめたり。之れ即ち粟の始なり。

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穀物起源神話です。粟の起源ですが、ここでは狐の糞から粟が自然に生えたということになっています。また断崖の下という場所も重要かもしれません。

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粟の起源神話としては鳥が落していったという「穂落神」型が存在します。
また狐が穀物をもたらすという伝承は、日本民間、特に関東では「穀物盗み」型の稲の招来譚として語られます。

穀物起源神話については大林太良先生の『稲作の神話』ははずせませんが、「穂落神」「穀物盗み」は共に一章を割いて論じられていて、ともに穀物起源神話の主要な話型であるということが出来るでしょう。
どちらも穀物は異界からもたらされたと語っている点は同じです。

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しかしこの話はちょっと違うようにも思います。
狐が登場するので「狐の米盗み」に引っ張られそうですが、異界から穀物がもたらされたという話ではないような気もします。むしろ発見譚ではないかと。

サイシャットには他に、鼠が米を食べていたのを発見して栽培するようになった話と崖崩れの跡に米を見つけた話があります。どちらかというとこれに近いような気もするのですが。狐が糞をしたのも崖の下ですし。

でも粟の起源は「穂落神」の事例が複数あるので、この狐の話はどっちつかずではありますね。

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まあもちろんサイシャットにもいろいろな穀物起源伝承がありえるとは思います。

気になるのは南群に「ガレハバスン」=「崩山下」という名前の社があることです。この社名について『調査報告書』は意味不明としていますが、漢字名は明らかに音訳ではないので、意訳でしょう。

今回の話の話者は北群ということになっているので関係ないかもしれませんが、崖崩れそのものになにかしら意味がある可能性も無きにしも非ずです。

少なくとも、北群タアイ社の近くに崖が存在しているというのは事実ですし、小人達が住むのも崖に口をあけた洞窟ですからね。

台湾サイシャット族 射日英雄 その二

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太古太陽二つありて、光熱甚しく山羊の皮を被るも忽ち損じて二度の用をなさず。箕にて蔽へば身体痛く腫れ上る程なりき。さればタロラホライと称する二十歳許の若者、意を決し太陽を征伐せんとて出発せり路々蜜柑と竹とを植えて東に進むこと数十年にして漸く太陽を射て帰るを得たり。然るに其時は不思議にも戻りの道も往と同じく西より東にとれりとや。

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典型的な射日神話ですが、やはり「日」姓の氏族神話になっています。他の原住民にも射日神話はたくさんありますが、英雄の名前に言及するものはなかったと思います。

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太陽二つというのも台湾原住民では一般的です。

この話ではひたすら暑かった、といっているわけですが、夜がなかったとは言っていませんね。二つの太陽が一緒に出ていたということでしょうか?要確認です。

あと月はどうしたのか?
太陽二つの射日神話では、射られた太陽が傷ついて熱を失い月になったというものも多いですが。

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遠征に何年もかかる、というモチーフも台湾原住民の射日神話では良く見られます。それを見越して赤ん坊を背負っていくという話まであります。またここにもありますが、途中で蜜柑の木を植えるというのも多いですね。粟を植えるというのもあります。でも竹を植えるというのは少ないと思います。

この話でも二十歳の若者が数十年かけてやっと太陽を射ち落したわけですから、普通ならば生きて帰ってはこられないでしょう。

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しかしこの話で特徴的なのはやはり最後の「不思議にも戻りの道も往と同じく西より東に取れりとや」の部分でしょう。

日の出の太陽を射るために東に向かって使命を果した英雄が、更に東に向かって戻ったというのです。これは非常に不思議な方向感覚だと思います。

もしかするとサイシャット族自体の移動と関係があるかもしれません。
サイシャット族は元は台湾西部の平野に暮らしていたと考えられています。それが漢人に追われて山の方へ移住したというのですね。

「西から東へ」という移動の方向性自体に何か意味があるのかもしれません。
文化人類学でも民族的な方位観というのは重視されますが、サイシャットのそれは単純に現在の居住地を中心とした方位観ではないのかもしれません。

まあそう考えても解釈はすぐには思いつきませんが。

台湾サイシャット族 藜の起源

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昔番地に藜なかりき。或男そを盗まんとて土人部落に行きしに、余りに監視厳しければ如何ともする能はず。依りて一策を案じ陰茎の皮に包みて帰れり。

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藜の起源伝承。なのですが、藜とは何なのか?

「若葉は赤く、食べられる植物だそうで、ホウレンソウも同じアカザ科に属しているそうです。味も似ているとか。でも現在では基本雑草扱いらしい。

同じくアカザ科アカザ属には「キヌア」という南米原産のものがありますが、これは種子を食べることが出来るので穀物扱いだそうです。インカ帝国時代には既に栽培されていて「穀物の母」と呼ばれる重要な食料だったとか」@ウィキ

写真を見ると確かに畑で見たことがある気がします。もちろん雑草という認識しかありませんでしたが。

台湾では葉が食べられていたのか穀物として食べられていたのか、どちらでしょうね?

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この伝承自体は典型的な穀物起源神話で穀物盗み型です。
日本では犬狐などの動物が人間のために盗む伝承が多いですが、台湾では人間が地下人の世界など異族の住む処から、穀物の粒を性器に隠して持ち帰るという伝承が多いです。男性も女性もあります。

穀物を性器に隠して持ち帰る、というのは意味深ですが、性器と穀物という二者関係だけを取り上げて、抽象的なことを言っても仕方ない気もします。

でももっと多くの性器にまつわる話、例えばヴァギナデンタータとか性器の移動とか巨根伝承などを広く網羅した上でなら、何かしら解釈の余地はありそうです。

台湾サイシャット族 女人社

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昔東に当り女人のみの社ありけり。彼等は風を孕みて女子のみを産む。偶々他社より男のさ迷ひ行く時は斬り殺されしものなり。而して彼等は男の肉を乾し堅め徒然なる時に取り出して其香を嗅ぎて慰みしと。

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女人村伝承。風によって妊娠するモチーフもしっかりとあります。ここであるように女人村の女は当然女しか産みません。
従って以前書いた「風による妊娠」の伝承は、モチーフは同じですが違う話なのです。

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しかしそれ以外にも特殊なのが、男があうと殺されてしまうということです。

他の民族のヴァリアントでは捕まって精根尽きるまで相手をさせられるというのが普通なのですが、ここでは殺された上に乾し肉にされてしまいます。

でもそれを食べるとは言わずに、香をかぐというのは面白いですね。

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『神話と伝説』には女人社伝承の章がなかったので、てっきりサイシャットの女人社伝承は小人伝承に駆逐されてしまったのかと思っていたのですが、ある意味ほっとしました。異族伝承研究の幅が広がりそうです。

タイヤル族にはたくさん伝承されている女人村伝承ですが、先日セデックの学生さんに面白いことを聞きました。

セデックの女人村伝承では女人達が蜂を放って男を追い回すのですが、最終的にセデックに攻められた女人村住民達は豆の中に逃げてしまうというのです。
そしてセデック・タイヤルでは小人達は「豆」と呼ばれています。

このリンク、注目したいですね。

台湾サイシャット族 交易の起源 その二

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昔祖先等高山蕃と遇ひし時、汝等は如何なる物を食するかと尋ねしに、彼等は鶏を食すと答えたれば、祖先等は携へたる魚を示して、汝等の鶏と交換せずやと重ねて問ひたるに彼等も喜びて輙ぐ承諾したれば茲に始て彼我の交易を開くに至れり。

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前にもあげた交易の起源です。
やはり不思議なことなど何も無く、淡々と物々交換の始まりを語っているように思います。

前回とちょっと違うのは、ここでは高山蕃が交換するものが鶏になっていることです。前回は鳥獣でしたね。

鶏というのは家畜だと考えていいと思うのですが、家畜の起源とは別物でしょうか?

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それにここでもサイシャットは魚を交換しています。
でもそれにしては魚に関する伝承はほとんどないんですよね。そこが不思議なところです。

それとやはり相手は「高山蕃」つまりより山奥に住んでいるタイヤル族ということになっています。意識としては「我々は平地人」だというのがあったのかもしれません。

でも漢族との交易を語る伝承というのはないのでしょうか?気をつけておきましょう。

台湾サイシャット族 風による妊娠

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昔一人の娘山に登りて遊び居たりしが、偶々隠処に痒みを覚えて耐へかたければ風に曝せしに間もなく孕みて一人の男子を産みたり。

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感精神話の一種と捉えてよさそうですが、風による懐胎というモチーフは沖縄の神話などにも存在します。

風が吹いて始祖が生まれた、という「原初の風」ともいうべき作用としての伝承は広西チワン族自治区西部のヤオ族に伝承されているようですが、これはちょっと違うかもしれませんね。

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人類或いは民族起源神話などよりも、この「風による懐胎」というモチーフが頻繁に現れるのは「女人村」などとよばれる女だけの集団に関わる伝承においてです。

この「女人村」伝承は台湾原住民の間ではかなり広く伝承されているもので、当然ながら男は居ません。そしてつかまると大変なことになるわけです。
全ての事例を集めたわけではないので、確定的なことはいえませんが、最終的には女人村は消滅するという話しが多いように思います。

類似例は中国古典では『鏡花縁』などにもあったはずですし、日本でも江戸時代の小説などにあったと思います。「女護島伝説」などとも言われるようですが、こまつDBではヒットせず。民間伝承ではないのでしょうか?沖縄の話をもとに書かれた単純な小説なのでしょうか?

この伝承については大学時代美学の授業でレポートを書いた覚えがあるのですが、「女人村」住民のもう一つの妊娠の仕方は、「井戸を覗き込む」ことだったりします。
この辺、中野美代子先生の『中国の青い鳥』に書かれていたと思います。



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ただし。このサイシャットの「風による懐胎」モチーフは資料を読むだけでは、感精神話なのか、女人村伝承のヴァリアントなのか、判断できません。

なぜなら、サイシャットには「風」という姓が存在しているからです。私はいまのところこの風姓の氏族伝承を読んだことがありませんが、「男子を産んだ」とあるわけですから、其行方についても気になるところではあります。

台湾サイシャット族 霊蛇の話

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昔或家にて炉の灰を失うこと毎夜なれば人々不思議に思いて数人をして見張らせしめたり。然るに夜中に何所よりか一匹の大蛇現れて屋内に入らんとしたれば人々武器を携うるも其威に怖じ恐れて進む能わず。致し方なく一人の物識の老婆にその旨を告げたるに彼箱を携え来たりて、いとたやすく大蛇を其中に納めたり。斯くて老婆は其を飼養せしに霊験あらたかに子等の病む時に其側に連れ行けば、忽ち全癒し又戦争の時に籠に入れて天に高く揚ぐれば敵全滅せり。然るに偶々豪雨ありて河水氾濫せし折、不幸にも其蛇を流失せしかば、社人は惜しきことをせしものとひたすら其行方を探せしに、台湾人の沈めたる筌(せん)の中に異様の蛇の入りたればとて見物に集りたる者数百人一時に死亡せりとの噂を聞きたれば、或いは失える蛇に在らずやと社人の一人を遣して見せしめしに果して自社の霊蛇なりければ、其を貰い受けて再老婆に返したり。老婆もそれより一層いたわりて養いしも間もなく死亡したれば、其骨を布に包み棚に納めて神として崇めたり。

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戦前にまとめられた調査報告書にのる「ソロウ・カラン」伝承の類話です。以前挙げたものもそうでしたが、これも北群の伝承です。

病気治しにも戦争にも霊験あらたかとは実に強力ですが、以前挙げた伝承ではそこまではいっていなかったと思います。

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この伝承の話者は夏姓でも解姓でもなく、豆姓・朱姓の人物です。つまり夏・解性が話を誇張したわけではないのです。

氏姓分布表によると北郡には夏解姓は存在しないので、当然といえば当然ですが。老婆が何姓だったかが書かれていません。これは注目すべきだと思います。霊蛇伝承は必ずしも夏解姓とともに語られるものではなかったのかもしれません。

そうだとするとこの強力な霊蛇の信仰はなぜ夏解姓の信仰へと矮小化されてしまったのかが気になりますね。
ちなみに南群では夏姓が開いた「五福宮」(旧名「五福龍賽堂」)という道教式の廟が存在します。

起源神話を見る限り、ですが、北群と南群では北群の方が氏族関係を重視している印象があったのですが、この伝承を見るとそれも一概には言えないようです。

まあ、南群北群と言っても現在の地方行政区分として北群=新竹・南群=苗栗と区別されてはいるものの距離的にはそれほど遠くないですし、それぞれの伝承傾向をまとめるというのも注意深く行う必要があるかもしれませんね。

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それにしても強力な神ですが、こうなってくると蛇伝承を研究してきた私としては追わないわけにはいかなくなって来ました。

小人と蛇、あまり関係ありそうにもありませんがね。

台湾サイシャット族 脱皮をやめた人間

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昔の人は老年になると外皮を剥いで再び若くなったものである。ところが異種族のものがやってきてそれを笑ったから、「一体皮を剥ぐのと、死ぬのとどちらがよいか」と尋ねると彼等はすぐ、「見苦しい皮を剥ぐより死ぬ方がいくらよいか知れない」と答えた。それから彼等も皮を剥ぐのをやめて死ぬことに定めた。

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所謂「死の起源神話」。脱皮をやめてしまったために死ぬことになったという伝承で、沖縄や中国南部には多くの事例があります。日本で主要な死の起源神話というと記紀のイザナギ・イザナミの両神の対立とニニギノミコト婚姻譚の二つ。脱皮型はあるのかな?

「脱皮」と不死性についてはギルガメッシュ神話には既にあるモチーフですから、人類に普遍的な発想といってもいいかもしれません。そして脱皮する動物としては普通は蛇があげられます。
沖縄の類話では本来は人間が不死を得るはずだったのに、伝令が間違って蛇が脱皮の能力を持ってしまったということになっています。

この伝承についてまっこうから取り組んだことはありませんが、神話学においては主要なテーマなので類話をたくさんまとめた論文も多いです。「脱皮型」といってもさらに細かい分類をすることが可能です。

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この伝承には蛇は登場しませんね。単純な「脱皮能力の喪失=不死の喪失」という伝承です。
中国南部の少数民族にはこういう事例も多いです。

しかし脱皮をやめてしまう理由は普通「脱皮する時激痛をともなうから」というのが普通だったように思います。痛いのですぐには脱皮できず、時間がかかるという事例もあったと思います。

しかしこのサイシャットの伝承では「異種族に笑われたから」というのが脱皮をやめた理由になっています。こういうの他にあったかな?

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ところでこれと関係ありそうな伝承に「糞尿で体を覆っていれば不死でいられる」というモチーフがあります。たしかサイシャットにもあったと思います。後で確認しましょう。

同じ本に紹介されているタイヤル族白狗蕃の伝承では「人間は老年になると肥溜めに飛び込んで自分の表皮を剥いだ」という伝承があります。脱皮と糞尿で身体を洗うことには関係性がある。
しかしそれを嫌がるようになって不死を喪失したわけですね。

あとパイワンの伝承では老人は小さくしぼんだようになりつつうなり声を上げるというちょっと怖い状態で不死性を維持していたとあります。これを見た子供が怖がったので埋めてしまって、不死性を喪失します。

つまりこれ等の伝承によると、「原初の不死性」とはけっして美しいものではなく、不潔を我慢するとか、恐ろしい姿になるといったマイナス面を持っていたということです。
その意味ではバナナタイプやニニギ婚姻譚とも通じる「選択」の要素があるとも言えますね。

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で、サイシャットの場合「異種族に笑われたから」というのが死を選択した理由なのですが、他者からの嘲笑によって不死を放棄してしまうというのは面白いですね。小説の中の「武士」みたいです。

しかしそういう恥とか誇りとかではなく、死の起源という重要なテーマが異民族との関係性について語られているというのはサイシャット族に特殊なものなのではないかと思います。

同じような語りが他の民族でも見られるのかどうか、注意する必要がありそうです。

台湾サイシャット族 交易の起源

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昔祖先等がパナ(高山蕃)と遇った時、彼等はサイシャツに向かい、「汝等はいつもどんなものを食っているのか」と聞くから、祖先等は「我等は魚を食っている」とて魚を見せると、パナは「我等は鳥獣を捕っては食べているが、一つ汝等の魚と交換しようじゃないか」といって鳥獣を与えた。そして魚を貰って喜んで去った。両族間の交易はこうして始まったのである。

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内容から言って神話でも伝説でもない気もしますが、交易の起源です。

これは北群タアイ社の伝承ですが、南北関係無くサイシャット族はタイヤル族に比べて海側に住んでいます。そして海の近くから移住してきたという伝承もあります。
まず第一にそういう現実に即した話であるというのは確かです。

しかしサイシャット族の部落も実際には狩猟はしています。
だからここまではっきりと「サイシャット=魚」「タイヤル=鳥獣」と分かれるはずはないのですが、伝承中ではそういうことになっています。

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南群で同じような交易起源伝承があるのかないのかわかりませんが、もし無かったとすると、民族起源伝承との絡みで面白い相違だということになるかもしれません。

北群の民族起源伝承にはタイヤル族と漢族の起源は語られず、むしろサイシャットの氏族の起源が強調されます。
一方南群ではサイシャット自身の起源とともにタイヤル族と漢族の起源が語られ、氏族については言及がありません。

つまり南群のほうがタイヤルとの共存関係が深く、その意識も強いといえるかと思います。一方北群はあくまで交易の相手であるというドライな認識。

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サイシャットではタイヤル族との通婚がありえますが、その多少なども関係があるかもしれません。

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