ピユマ社
「最後に、ピユマ社(Piuma)であるが、社は下パイワンの東南約一里半の所、標高三、〇〇〇尺、戸数一〇三の大なる部落を成している。(昭和七年七月調)元当社は現社の下方に在って、原名をTanomakと呼んだ。当社には頭目家は唯Mavariu家あるのみで、頭目家は蛇より生れ、蕃丁は犬より生ると云う。蛇の苗裔たるMavariu家の初代にSauribanなるものあり、蕃丁を茶化し愚弄せる彼の振舞が種々の物語となって伝えられている。此社は矢張パダイン社の分派であると云われている。併し此社は以前五年祭(此所ではDomuratsと云う)の行われている当時でも、Padainに行かぬ由であり、五年祭其物の存在も疑われ、特異なる事には当社に限り、女子相続制が行われるとも言われている。社名Piumaにしても、Tanomakにしても台東方面を連想させるものが多い点は留意すべきである。」

(『台湾高砂族系統所属の研究』)

開社の由来
当社は蓋しパダイヌ又は下パイワヌかより分社したるものなるべし。クワルス社大頭人ラカルは「プユマはクワルスより分社したるものなり」と云う。されど余は或は東方のプユマより分派したるものなるか或は西方平地の番族にして東部のプユマの地に転住する以前先茲に占住したるものに非ざるかと疑う。本社民の語る所に依れば旧社の址はチャノマクと称し、現在の下方に在り。百余戸の家址を有す。そこには一の林あり。「キニパプカサヌ」と称し、中に甕あり、日の卵を蔵す。而して本社頭人の祖先サロリバクは此卵より生まれ出でたるものなり云々

(『番族慣習調査報告書』第五巻ノ一パイワヌ族)

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日本時代の文献ではプユマ社或はピユマ・ピューマなどと表記されます。
現代は「平和」。以前紹介した胡台麗先生の論文でも扱われていました。



胡台麗論文ではプユマ社は蛇祖神話がメインで、太陽卵神話分布圏ではない、とされていましたが、上記引用を見ればわかるように、普通に太陽卵神話も存在します。

まあルカイ族やパイワン族においては、時代や話者の出自などによっても、どの始祖神話を強調するか異なりそうですから、あまり他の文化要素と結びつけて考えるのも難しいかもしれませんね。

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『系統所属』によると頭目家はMavariu家のみ。
そのマヴァリウ家は蛇から生まれ、他の社民は犬から生れたと言います。

「蛇」と「犬」が対比になっているというのは、どうもしっくりきません。両者が登場する叙事的な始祖神話が存在しているのか?

蛇始祖神話としては他社に「頭目は百歩蛇から生じ、平民は亀殻蛇(タイワンハブ)から生じた」という事例がありますが、それは「二種類の始祖蛇の格の違いが、人間社会の階層に反映されている」という、正しい意味でのトーテミズム的な表現になっていると言えます。

しかし「蛇」と「犬」が、頭目と平民との関係性を表すような説話の内容、というのはあまり想像できません。

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上記リンクの胡台麗論文にはプユマ社の百歩蛇崇拝について、以下のようにまとめられていました。

「平和村では百歩蛇を頭目家の祖先・村の守護神として崇めていた。危機の予告と哀悼を表すという百歩蛇の声は彼らが重視する鼻笛の音とも関連性を持ち、その発声器官でもある百歩蛇の三角形の頭部を模したともいう。頭目が死んだ時は鼻笛と歌だけで哀悼の意を表す。」

また童春發『排湾族史篇』には以下のようにあります。
「ピウマは百歩蛇特区であり、百歩蛇は人間と共に実際の生活を送っていた。祖先は百歩蛇と同じベッドで眠っていたし、蛇は婦女が刺繍をしているのを静かに見ていた」。

私もパイワン族の友人から「昔は百歩蛇と仲良くしている人がいて、その人の家にはよく百歩蛇が遊びに来ていた」という話は聞いたことがありますが、それを村全体でやっていた、ということでしょうか?
かつては村の彼方此方に百歩蛇がウロウロしていたのか、と考えるとなかなかすごいですが、奈良の鹿のような感じだったのかもしれませんね。

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『慣習調査』では頭目始祖が「甕の中の太陽卵」から生れたとしています。

百歩蛇の卵なのか?太陽卵なのか?というのは、神話の象徴性を考える上では大きな違いのように思いますが、果してかつてプユマ社の人々自身がそこにこだわっていたのかどうか?というのは、実は不明です。

どちらでも神聖性を強調することはできる気がしますが、果してそこに「格の違い」のようなものがあったか否か?
・・・パイワン族部落の対外関係というのは、結局のところ実力主義だったと思うので、「神話内容の格の違い」とかあまり関係ないような気もしますが。

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「Sauriban」或は「サロリバク」。最初の頭目に関する説明はちょっと気になります。

「蛇の苗裔たるMavariu家の初代にSauribanなるものあり、蕃丁を茶化し愚弄せる彼の振舞が種々の物語となって伝えられている。」(『系統所属』)

このプユマ社初代頭目サウリバンの伝承は、どうも私の手元にある資料にはないようです。
しかし『調査報告書』にはマシリジ社で採集された「サウリバンアポラル」という悪戯好きな頭目の話が記載されています。
ただその「サウリバンアポラル」はマシリジ社の頭目ではなく、「エタノーマ」社という詳細不明の部落の頭目ということになっています。
あくまで推測ですが、この事例は、プユマ社初代頭目サウリバンの伝承が昔話化したもの、或いは同根の話が発展したものである可能性があると思います。

そのマシリジ社に伝承されていた「サウリバンアポラル」の内容は以下の通り。
1耕作手伝いの謝礼として社民に蛇の肉を提供。
2甕の中に屁を貯めて、酒を奢ると騙して蓋を開けさせると、甕から蜂が出て社民を刺す。
3社民に猪を狩って来るように命じたが、牝を持ち帰ると、牡を取って来いと叱る。
4キラオラオ鳥を捕まえろと命じたが、矢で射止めて持ち帰ると、なぜ生きたまま持ってこないのかと叱る。
5社民は頭目の悪戯や無理難題に腹を立て、頭目殺害を決める。
6頭目がパダイン社へ逢引きに行く時、社民たちが敵襲が来たと嘘をついたので、頭目は腹に巻いていた大陽物を引きずって逃げ、負傷した。
7社民は翌日また逢引きに行くように頭目に勧め、敵襲があっても箱の中に入れて運ぶから大丈夫だと騙す。頭目が箱に入ると社民は蓋をして釘を打ち、深い谷に落して頭目を殺した。
8頭目が落ちた場所には一本の「タララプ(台湾松)」が生えた。

「大陽物」に関する部分などは、このブログでも以前取り上げたことのある事例とよく似たモチーフが登場しています。



また「蛇肉を社民に食べさせる」モチーフは、内文社ロヴァニアウ頭目家サラアツの伝承にもありました。意外と定型性のあるモチーフなのかもしれませんが、蛇を始祖とするプユマ社頭目が同じことをするかというとどうか?



パイワン族はどの部落でも百歩蛇を神聖視し、その図案を使えるのは頭目系統の人間のみでした。
しかし明確に「百歩蛇の末裔」であることを主張する頭目家というのは意外と少ないですから、プユマ族頭目に関する神話伝説は今後調べていきたいと思います。



最後に、プユマ社と「東部」との関係について。
『系統所属』も『慣習調査』も、どちらもこのプユマ社と、東部との関係について言及しています。

『系統所属』はその理由として次の三点を挙げています。
・五年祭挙行時、他の近隣部落はPadainに行くが、プユマ社は行かない。
・女子相続制が行われる(プユマ族もかつては女子相続だった)。
・社名Piumaにしても、旧社名Tanomakにしても台東方面を連想させる。

『慣習調査』の推論は二通り。
・東方のプユマ族プユマ社より分派したものか?
・プユマ族プユマ社が東部に転住する以前にここに住んでいたか?

五年祭不参加についてですが、『慣習調査』「対外関係事略」によると、パダイン社とは敵対関係にあったようなので、それは参加しないでしょう。しかしプユマ社自体でも、全く関係儀礼を行っていなかったというなら、やはりブツル群パイワン族としては特殊であると言えます。

女子相続については、確かに東部プユマ族はかつて女子相続だったようですが、現在は男子相続の傾向が強いようです。一方男系継承が普通だと言われているルカイ族でも女系継承が行なわれることもありました。
男系社会と女系社会というと、普通全く異なるものとして分類されますが、「長子相続」という双系的な相続制度を持っているパイワン族を中心にしてみると、「一時的」傾向として、どちらかに偏るか、偏っているように見えることもあり得ると思います。
プユマ社で実際にどの程度女系的な相続が行なわれていたのか?女子相続を行う理由やその起源を語る伝承があるかどうか?

社名Piumaと旧社名Tanomakが東部風というのは、確かにそう思います。
ただ、これも「なぜそういう名称になったのか?」という説明や伝承があるともう少し深読みする余地もあるのですが。

ルカイ族では東部プユマ族との関係性が始祖神話にまで表れている事例もありましたが、今回のプユマ社の場合はどうでしょうか?『系統所属』でも具体的なことが取り上げられていない所をみると、なさそうな気がしますが。

あとプユマ社が蛇始祖伝承や百歩蛇との関係性を非常に重視しているという点は、東部プユマ族とは異なっている気がしますね。