事例01 中国雲南省羅平県イ族
「昔、穀物は鶏卵ほどあって、「穀霊呼び」をすると、家の穀物囲いにやって来た。ところがある男の妻が穀物を煮るのを億劫がり、さらに穀物で尻を拭いたりしたため、怒った天神は穀物が自分からやって来ないようにした。次いで女が穀物を罵倒したため、天神は穀物の籾殻が取れないようにした。そこで妻が乱暴に穀物を搗いたところ、穀物は現在のように小さくなったという。」
(陳建憲選編『人神供舞』湖北人民出版社1994・下記斧原論文から孫引き)

事例02 中国遼寧省岫岩県満族「神農婆と百穀仙姑」
 昔、人々は採集と狩で生活していた。神農婆はそれを哀れみ、小麦粉を降らせた。
 しかし人々はそれを大切にしなかったので、神農婆は物乞い婆の姿で視察に行った。ある家に烙餅を見つけて、それをくれといったが、女はそれを与えずに子供の座布団にした。神農婆は人々が食べ物を大切にせず、人心が荒んでいるのを見て罰を与えることにした。それから小麦粉の代わりに雪が降るようになり人々は飢え凍えた。
 神農婆は心配になって百穀仙女に五穀を下してくれるように頼む。これが地上の穀物の起源である。
その当時とうもろこしは一株から五本取ることができた。百穀仙女も老女になって視察に行ったが、下界では人々がトウモロコシを棒代わりに殴り合いをしている。くれと頼んでもくれない。百穀仙女は怒って魔法のかごで全てのトウモロコシを持ち去ろうとするが、その時犬が「自分は糞を食べるので人々に食料を残してくれ」と懇願した。仙女は少しだけ下界にトウモロコシを残すことにした。
  それ以後トウモロコシは一株に一本か二本しかならなくなり、他の穀物の取れる量も減った。また雑草も生えるようになった。
人々は食物の大切さを知り、犬は糞を食うようになった。



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このブログでも過去に何度か「黄金時代の終焉」などと分類した神話事例を取り上げてきました。
私自身は山田仁史先生の論文でその言い方を知った記憶がありますが、改めて調べてみたところギリシャ神話に由来しているようですね。

wikiから引用。
「「黄金時代」の言葉のルーツはギリシャ神話である。ヘシオドスの『仕事と日々』によると、かつてクロノスが神々を支配していた時代が、黄金時代である。
黄金時代には、人間は神々と共に住み生きていた。世の中は調和と平和に満ち溢れて、争いも犯罪もなかった。あらゆる産物が自動的に生成され、労働の必要はなかった。人間は、不死ではないものの不老長寿で、安らかに死んでいった。」

元々の「黄金時代」には幾つかの要素があるようですが、今回「餅の的」説話との比較研究において取り上げる事例については特に「あらゆる産物が自動的に生成され、労働の必要はなかった」という部分に関係があります。

話の内容を考えると「農耕の起源神話」と言い換えた方が明確なのかもしれませんが、それでは「太古人間は何の憂いもない楽園のような状態で暮していたが、罪を犯したためにそれを失った」という「負の起源神話」の性質を表すことができません。
「労働の起源」ということもできるでしょうが、「原初の社会は楽園状態だったが、それが失われ、労働しなければならなくなった」という成り行きを示すには、やはり「黄金時代の終焉」神話とした方が良いでしょう。「楽園状態の終焉」でも可。

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「餅の的」説話と「黄金時代の終焉」神話の関係性を指摘した重要な論文があります。
斧原孝守「中国少数民族神話から見た「餅的伝説」の原型」(『東洋史訪』5号・1999-03)。

上記事例01はこの論文からの孫引きですが、斧原先生はこのような内容の事例群を「自動米」神話と呼び、以下のようにまとめています。
「(1)[巨大米・黄金時代] 
  原古、米は大きく、実れば自分から倉にやって来た。
 (2)[米への無礼な行為]
  ある女が米を打つ(または罵る)。
 (3)[米の飛来停止(逃亡)]
  打たれた米は動かなくなる(または逃げてしまう)。
 (4)[黄金時代の終結]
  米は現在の大きさになり、刈り取らねばならなくなる。」

斧原先生によれば、この「自動米」神話が見られる地域は「今のところインドシナ半島からアッサム、雲南、華南から華中の一部にまで広がっている」とのこと。また「中国大陸南部の水稲耕作民であるタイ語族からミャオ・ヤオ語族に分布の中心があり、イ族や漢族の事例はそこからの伝播であろう」とも。
日本には明確な「自動米」神話はないものの、「巨大米」伝承を伝える寺社は幾つもあり、「近世日本においても黄金時代の没落の神話が伝わっていなかったとは言えないのである。」と論述を結んでいます。

この論文の論旨について、私も大筋は同意できます。
「人が驕りによって食べ物を粗末に扱い、それ以前の豊かな生活を享受できなくなってしまう」というのは、確かに「餅の的」説話と「黄金時代の終焉」神話の共通性です。
また「穂落し神」神話に散見される「巨大米」の存在は、明らかに中国の「自動米」神話の観念と通底しています。

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しかしこの論文での、日本の「餅の的」説話事例と「豊後国」地名起源伝承の解釈については、あまり首肯できません。特に「稲荷社起源伝承は「黄金時代の終焉」神話である」という解釈は恣意的過ぎます。

「太古、日本にも中国に伝わっているような「黄金時代の終焉」神話、「自動米」神話が存在しており、その名残或は変化したものが「餅の的」説話である」ということは、普通にあり得ると思います。

しかし「日本にも中国風の「黄金時代の終焉」神話・「自動米」神話があったはずだから、日本の「餅の的」神話もそれを前提にして読み解くのが正しい」などという見解は全く同意できません。
日本の「餅の的」説話は既にして日本的に変化した伝承だからです。

稲荷社起源伝承は、祭祀起源伝承であり、秦氏と稲荷信仰との結びつきを強調するためのものです。
秦氏は確かに有力氏族ではありますが、所詮は一介の渡来氏族に過ぎません。「黄金時代の終焉」などという、所によっては創世神話の一部を成すような重要なテーマの主人公を荷うには役者不足でしょう。

次回扱う台湾原住民に見られる「黄金時代の終焉」神話では、そのきっかけを作った人物は自らの行為によって死んでしまうのが普通だと思います。また個人名は言及されても、その家系について言及している事例などはないと思います。
中国の事例はどうなのでしょうか?黄金時代の終焉のきっかけを作り、人類に労働の苦労をもたらした人物はその後どうなったのでしょうか?意外と「大昔の事だからわからない」と不問にされている事例も多そうで、それはそれであり得ると思いますが。

黄金時代の終焉のきっかけを作った者が、非難もされず、それどころか農耕祭祀の祭祀者となるなどという事例があるのでしょうか?
普通は考えにくいと思います。

一方で記紀神話において、「天皇王権は負の起源神話をも自らの責任として語る」という傾向は確かにあります。しかしそれは天皇王権という特異な王権だからこそ可能な事であって、普通のそこら辺の皇帝やら王様やら豪族なら、出来るだけマイナスイメージのあることは語らないというのが普通のあり方だと思います。



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斧原論文は中国南部の事例しか紹介していませんが、穀物・食糧に関わる「黄金時代の終焉」神話は北部にもあります。

それが上記事例02、満族の小麦・トウモロコシの事例。
話型としては「異人冷遇」ですが、その結末は明らかに「黄金時代の終焉」です。

この事例では、小麦粉で作った烙餅を子供の座布団代りにしたり、トウモロコシを棒の代りにして殴り合ったりしていますが、それらの行為を「有り余った穀物を、食べること以外の用途に代用したために、神を怒らせてしまった」と読み解くなら、「自動米」神話よりも、「餅の的」説話に近いと言えるでしょう。

日本人研究者による中国民間伝承研究は、日本文化との類似性を重視したせいか、南部地域に偏る傾向があります。しかし今は北部少数民族の民間伝承資料も充実してきていると思いますから、事例02に類似した「黄金時代の終焉」神話の事例がたくさん採収されているのではないかと思います。

中国北方少数民族には狩猟民や草原遊牧民など、日常的にも弓矢をよく使う生活をしていた人々が多くいますから、「小麦粉で作った円いパンを的にして弓矢遊びをしたら・・・」などという事例もあるかもしれませんね。