『系統所属』

バンキウ(Vankiu)社及びアリパイ(Halipai)社

・呂家社によると両社は呂家社の分派。成立はパシカオ社より後。
・パンキウ社頭目によると、アリパイ社は元は呂家社の耕作小屋であったものが独立したもの。パンキウ社はそこから更に分かれたものという。

・パンキウ社頭目家はマリドップ社Mavariu頭目家から分れたものというが、始めは二戸だけに過ぎず、それがパシカウ社の一部と共にPinataraiという場所に分社した。
・パングツアハ族の移住者もいるが、目が細い者はパングツアハ族の子孫だという。

・パンキウ・アリパイ両社の一部(十戸)は昭和二年パシカオ社に移住し、その他のものは鹿野・大原・月野・老巴老巴などに散在している。アリパイ社はわずかに残っている。

『番族慣習調査報告書』

〇アリパイ社の起原
呂家社民は子孫繁殖すると共に其一帯の地域を開拓し尽くして、漸次社外に進めしが、アリパイの地に初めて畑を耕せしは呂家社民サリヤウなるが、妻女の名明かならず。サリヤウ以後屡々呂家社民の住移するありて、遂に一社をなすに至れり。

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バンキウ社とアリパイ社。
バンキウ社は「斑鳩」或は「班鳩」、アリパイ社は「阿里排」「阿里擺」と漢字表記されています。

位置は北「パシカウ社=初鹿」と南「プユマ社=卑南社」の間。
台東県の観光ルートで言うところの所謂「山線」、或は「花東縦谷ルート」(台東市-卑南-初鹿-鹿野-関山-池上)上にあるので、旅行に行くとよく通過する場所ですが、途中下車したことはありません。

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ともに呂家社から分れたとのことで、『系統所属』では断片的な情報を整理して紹介しているだけです。
アリパイ社の方が先に呂家社より分離し、そこから更にバンキウ社が分社したとしています。

アリパイ社については『番族慣習調査報告書』に起源伝承が紹介されていますが、普通に移住?分社?の過程を説明しているだけです。
呂家社が発展し付近を開拓する中で、社民サリヤウが今のアリパイ社の地を開拓。それ以後呂家社から続々と人が移って来たので一社として独立した、という内容。

これは『系統所属』が言っている「アリパイ社は元は呂家社の耕作小屋であったものが独立したもの」という説明とも矛盾しませんね。
「耕作小屋から一集落になった」というと極端な感じもしますが、少しずつ居住環境を整えて、人口も増えて行ったということでしょう。

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バンキウ社については、アリパイ社から分れたとは言うものの、その頭目家は「パンキウ社頭目家はマリドップ社Mavariu頭目家から分れたもの」としています。

この辺、何やら複雑な成立過程をしているようです。『系統所属』を何となく要約すると以下の通り。
1.パシカオ社の一部が分社。
2.「1」にマリドップ社マヴァリウ頭目家系統の二戸の家が合流。
3.後にアリパイ社が呂家社から独立。
4.「2」の集団とアリパイ社から独立した一部が合流し、バンキウ社が成立。

しかし現状ではバンキウ社の多くの家はパシカオ社に吸収された状態になっているようで、独立した集落を形成しているわけではないようです。残っているのは地名だけ。
アリパイ社はまだあるようです。

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『系統所属』によるとバンキウ社では「パングツアハ族(アミ族)の移住者もいるが、目が細い者はパングツアハ族の子孫だ」と言われていたそうです。

プユマ族はアミ族を下に見る傾向が強いですから、「目が細い」というのもある種の悪口である可能性が高いです。
しかし台湾原住民全体として「目が大きく、ぱっちりしている」イメージが強いので、「実際に目が細い」という意味なのか?それとも「目を細めるような表情を良くしている」的な慣用句的意味で言っているのか?よくわかりません。

また上述した、マリドップ社から移住して来た人々については「身長が高く、耳朶は大きく前を向いていた」と伝えられていたそうです。
ちょっと「儒教的聖人像」に近いイメージですが、プユマ族的には良い意味なのか?悪い意味なのか?よくわかりません。