タマラカオ社の由来
太古Ruvoahan(Panapanayan)の石からViviと云う男、Ta'taと云う女が生れ、これが結婚してTinuvugan、Palaorの兄妹生る。この兄妹も亦結婚した。

次にRuvoahanから大南社(Taromah)に移ったが、突然海水が押しよせ、Kindoporの山で樹につかまってTanapanと云う女一人助かる。天から檳榔実が落ち、それを噛むとこの女が孕み、男児生れ、他に配偶者がいないので母子結婚し、それから人間がふえた。

その後、人々はKindoporを下って大南社に来たが、タマラカオ社の祖先のみは更に大南社を出発し適当な居住地を求めて呂家に来た。すると呂家社では一緒に住むがよいと云ったけれども、これも止めてToratorao(呂家とタマラカオ社との中間にある山脚地)に先ず居住し、次に段々と蕃社の位置が移って今の地に住むこととなった。

尚、Toratoraoに来る以前、呂家社の下方、Vorasiyan(Vorasiyau)に一時居たことがあり、このときから呂家社との接触、混淆行われ、現在では全く同社と言語習俗等を同じくする様になっている。当社は卑南社総頭目Ra'ra'家の支配を受け、毎年収穫後米や餅を同家におさめていた。この外、呂家社にも何故か同様に蕃租をおさめていた。当地は元来呂家社の土地とも云う。

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タマラカオ社(Tamalakao)は現代の「泰安」部落。「大巴六九」という表記もあります。
位置は呂家=利嘉社の北。現在呂家は大南社のすぐ東にあります。

『系統所属』の伝承が採集された戦前と現代の部落の位置が完全に同じかどうかは確認する必要がありますが、今回の事例に登場する三社が現在でもごく近くにあるということはおさえておいた方がよいでしょう。

因みに卑南社も近いです。とてもざっくり示すと↓のような位置関係。

   タマラカオ
          卑南社
大南社 呂家社

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『系統所属』は「タマラカオ社は元は大南社の分派であり、後にパナパナヤン化=プユマ化したか?」としています。
確かにそこに紹介されている呂家社に伝わる伝承は、このタマラカオ社を「屏東ルカイ族のタマラカオ社から移住して来た三戸の者が独立して建てた」としています。

一方、大南社の伝承によると「タマラカオ社は大南社La-varius家から分れた」としています。大南社系譜では第九代目に当る時期、と時系列まで明確に伝わっている。

更にパンキウ・パシカオ両社の伝承によると「タマラカオ社に最初に来たのはKinadawan(ルカイ族下三社蕃トナ社)の者である」とのこと。呂家社の者が狩猟に出て彼等に会い、移住を勧めたとも。
また「その後、同社には大南社の者が移り、また呂家パシカオ両社からこれに混入したものもある」ともいい、大南社・呂家社の主張とも矛盾しない内容のようにも思えます。
『系統所属』解説によると「トナ社には「La-putoan」という頭目家があるが、タマラカオ社カロマハンには「Putoan」という名称のものがある」とも言い、トナ社との関係性もかなりしっかりありそうです。

『系統所属』は「恐らく当社は雑多な分子の混淆によって成立せるものであり、從ってその成立由来について種々の相異る口碑が語られているのであろう」「それぞれの起源伝承で言われている故地、大南社・タマラカオ社・トナ社は全てルカイ族であり、それが後に呂家社などとの交流によってプユマ化したか?」としていますが、異論をはさむ余地はないですね。

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『系統所属』の解説も既に指摘していますが、神話の内容は二つの伝承が結合しているように見えます。
知本・カサヴァカン・呂家社の発祥起源神話である「Ruvoahanでの石生」モチーフ。
大南社起源神話である「洪水」「天の檳榔による感精妊娠」モチーフ。

しかし確認すべきは、「Ruvoahanでの石生」を先に語り、後に「洪水でKindopor山へ避難」を語っていることです。
つまり他社の伝承では皆が「タマラカオ社はルカイ族起源(大南社・タマラカオ社・トナ社)」としているのに対して、タマラカオ社自身は知本・カサヴァカン・呂家と同じく「Ruvoahanでの石生」したとしているのです。

以前も書いたように、台東地域において大南社は歴史も古く、近隣諸社からは軍事力も強いとされる有力社です。
色々な系統が混在しているにしても、ルカイ系統が多そうなタマラカオ社がなぜ自身を「大南社に近い集団」と位置付けないのか?ちょっと気になります。

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またもう一つ気になるのは「檳榔感精」によって生まれた男子が、母子相姦を行っている点です。

大南社の起源伝承によると、檳榔感精によって生まれた「シマラライ」は普通に妻を得て結婚していますから、「母子相姦」モチーフは他から来た可能性が高いです。



以前呂家社の伝承で、「ピナルピハンの話」というのを取りあげたことがあります。洪水でキントポル山に逃げのびた女が一人で男子を生み、その男子と母子相姦を行ったという話。



「ピナルピハンの話」に「檳榔感精」モチーフはありませんが、近い伝承だと言えると思います。