山羊の話

昔、父子にて耕作に従事せしに、子は働かずして遊び居たれば、父大に怒り、木鍬にて子の頭を打ちたり。子は驚き、崖の下に逃げ去れり。然るに、其鍬頭にささりてとれず、遂に角となる。之れ山羊の始なり。

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台湾原住民の間で広く伝承されている、人間から動物への変身譚。
サイシャット族やサオ族については一応既にまとめています。





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この「人間から動物への変身譚」が、全てそれぞれの動物の起源伝承なのか?というと必ずしも明確ではありません。

今回の事例は「之れ山羊の始なり。」と明確に「山羊の起源伝承」として語られていますが、こういう一文が必ずあるかというとそうでもない。
更に言えば、一種の動物について複数の変身譚が存在する場合も多数あります。それも一部落毎に一例ずつと綺麗に分布しているかというと、そんなこともないでしょう。

ではこの「人間から動物への変身譚」はどういう意味があるのか?
起源を語る場合は神聖な神話であって、起源を語らない場合は子供を躾けるための教訓話的な意味があった?
・・・正直、わからないですね。

唯一つだけ言えることは以下のようなことでしょう。
これら「人間から動物への変身譚」は、それ自体、そこに登場する動物たちに対して共感性を持っている。更に、聞く人に対して動物への共感性を生じさせるように作用する。
この種の変身譚で語られるのは基本野生動物です。犬に変身する事例は見たことありません。
本来は全く共感する余地のない野生の存在。その野生動物に対して、「元は人間だった」と語ることによって、人々は動物に対して漠然とした共感を感じるようになります。

北方狩猟民の「動物はそもそも人間の姿をしていて、一時的に動物の姿でこちらの世界に現れているだけ」というような動物観と比べると、動物の人格化度合はそれほど高くありません。
しかし逆に日本的な「野生動物は、神そのもの或は神の使いである可能性がある」という動物観とも少し異なる気もしますね。

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「人から動物への変身譚」で山羊に変身する話。
このブログでは一話だけありました。今回の事例と同じくプユマ族の話。



「山羊に変わってしまった」と言いますが、二人の娘が「山羊の起源」というわけではありません。
娘たちは炎天下の畑仕事を嫌って、「山羊になって木陰で休みたい」と思って、自ら山羊に変身しようと草刈道具を頭に挿しています。

猿の場合は「尻尾」、鳥の場合は「翼」、山羊の場合は「角」を再現することが変身するための条件になっているようですね。まあそれぞれの動物に特徴的な部分です。

この「二人の娘」ヴァージョンと比べると、今回の事例の「息子」はだいぶ可哀想ですね。怠けていたところ、父親に鍬で殴られ、崖に逃げる。「鍬が頭に刺さって抜けず、角になった」ということは父親は完全に殺しに来ていますが、やはり「角」が重要。

一方で「崖に逃げた」という点にも注目すべきでしょう。
急な崖を移動する山羊のイメージはやはり印象深いということなのだと思います。

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台湾原住民の伝承では山羊はあまり登場しません。
狩猟対象・食用にしているのかもわかりません。棲息地に偏りがあるかどうかも不明。
要確認です。

またそろそろ台湾原住民全体の「変身譚」を整理する必要があるかもしれません。
分類項目は色々考えてみる必要がありそうですが、先に資料収集が必要ですね。