カテポル社の話

昔、シハシハウの兄弟にトコと称する者あり。一日カブルガン山に行きて、火を焚きしに、此地一面に檜生い茂りたることとて、忽ち火は檜に移りて全山を焼き尽くしぬ。彼驚き逃げて一息にトアブダシ山に登れり。それよりカアロアン、トアブト、ルメガンを経て、ルバルバガンに行きたるに、偶々知本社の者其処に来り。彼に向って云うよう、酒を造り肉を取りて待て。我等後より来らんと。彼、心よく話たれば、知本社の者も一旦帰り大勢と共に再来りたり。然るにトコは約束にたがひ何の準備もなさざりしかば、知本社の者怒り、悉く作物を截り棄てたり。トコ其様を見て、斯る処に居るべからずとて、カルカランに赴きしに知本社の者猶怒さめず、汝の如き者は此処に来るべからず。「コテプラ」(傍)に行けと叱したり。彼止むなく「コテプラ」に行きて社を建てたり。之れ今の「カテポル」社の起なり。

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前回「カテポル」=「知本社」と書きましたが、この伝承では別々であるかのように述べられています。これはどういうことなのか?

『系統所属』には、知本社における「主要三頭目家とその配下」以外の家についても言及があるのですが、その中に「シハシハウの姉トコ」に関する伝承があります。その伝承では「大武山の火事」には言及がありません。また後段はトコ自身ではなく、トコの子孫の話になっていますが、「饗応の準備をすっぽかし、怒りを買う」という特徴的なモチーフは共通しています。社名起源は説かず。

今回の伝承内容と『系統所属』の伝承を合せて読むと、トコは新参者であったことがわかります。しかしトコは知本社の人々に対して非礼を働き、怒りを買って「傍(コテプラ)」に住むように命じられます。その「傍=コテプラ」が変化して、「カテポル」になったということになります。
・・・いやいや。元々そこにあった村の村人が、新参者に「お前なんか傍に住んでいろ」といったら、それを言った側の村の名前が「傍」になる?そんなことがあるでしょうか?

実は『系統所属』には別の「カテポル」名称起源説もあります。
射馬干社創建伝承では「カテポル」の由来は「並ぶ(korpatipol)」が由来だと伝えています。「korpatipol」の読み方がわかりませんが、「コテプラ」と同じ単語なのでしょうか?
発祥地を離れて各地を移動している過程で、カテポル社が射馬干社に並ぶようにして居住していたことから、「並ぶ(korpatipol)」と呼ぶようになった、と言います。

「傍」と「並ぶ」。どちらも対象となる位置基準が必要な単語です。「○○の傍」「××に並ぶ」。
上記二伝承はどちらも部落或は居住地の位置関係を言っていますが、「山」や「川」など自然物である可能性もあります。
現在の知本社は川沿いとは言えませんが、ごく近くに知本渓が流れていますから、「川の傍」というのが真の地名由来であった可能性は十分にあると思います。
しかし「傍」「並ぶ」という単純な位置を表す単語が元であるなら、他称としても普通に話を創作できます。「あそこの部落は昔うちの部落と並んで住んでいたから、そういう名前なんだよ」と。

で、冒頭の疑問に戻りますが。
今回の事例は話者名に「知本社 ゴサイ」とあります。『系統所属』の知本社頭目家系譜にはどうも名前がないようなので、その来歴所属は不明。
しかしこの人物が「シハシハウの姉トコ」の系統に属していたとしたら、「シハシハウの姉トコの系統の話が社名「カテポル」の成立に関わっている」と語ることは意味があります。新参者であるという伝承内容は変えられなくても、社名由来に直接関わっているということは、その「古さ」を強調する上では十分役に立つと思います。

ちなみに「シハシハウ」は本人の来歴は不明ながら、知本社の系統に婿入りして、家系をつないだ人物。トコはその姉ですから、本来は弟シハシハウと一緒に知本社に入っても良かったはずなのですが、『系統所属』の伝承によると、「トコは好色であったため皆に嫌われて別れた」とあります。
知本社の頭目家は三系統ありますが、二系統は明確に外来であるため、シハシハウとの関係性を語ることは十分に意味があったと思われます。

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以下事例内容について。

「カブルガン山」はパイワン語でいうところの「大武山」。プユマ族にはプユマ語の名称もあったようですが、パイワン語で呼ばれることが多かったと『系統所属』にはあります。

その大武山はパイワン族発祥の聖地ですが、その山の檜を焼きつくしてしまったというのはどういう意味があるのか?
この部分は『系統所属』の類話にはない部分なので、解釈の糸口すら見出せません。

ただ上にも書いたように、この事例には『系統所属』がいう「トコは好色であったため皆に嫌われて別れた」という部分がありません。その代りに「大武山での火事」が語られ、「火事から逃れるために遠くへ逃げざるを得なかった」ということになっています。
トコがシハシハウと別れた理由を「大武山での火事」にすることで、トコに対するマイナスイメージを一つ消したことにはなるでしょうか?

『系統所属』の事例でも大武山に行ったことにはなっていますが、火事は起きず。しかしパイワン族パダイン社のMurasという男と出会って結婚したことになっています。

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以下の移動ルート「カアロアン、トアブト、ルメガン、ルバルバガン」は今回の事例と『系統所属』とでほぼ同じ。

しかし『系統所属』事例ではトコ・Muras夫婦はカアロアンで死に、以後は子孫たちの話へ移行しています。また移動中に起きた出来事としては、「動物の来襲」があり、それによって各所を転々としたといいます。
カアロアンでは鹿が畑を荒す。トアブトでは蝦が沢山押寄せて噛みつく。ルメガンでは「ブト(ブユ・吸血するハエ科の昆虫)」に悩まされる。

「蝦の来襲」はパイワン族にも見られるモチーフです。蝦が恐ろしい生物だというのは良くわからない感覚ですが、蝦の中で人間の生活に害をなす種類があるということなのでしょうか?
日本では神話伝説において「大蛇・大蟹」的なモノは良く出現し、英雄によって退治されたりしますが、「人に害為す伝説の巨大エビ」というのは聞いたことがありません。そもそも怖いイメージがない。
プユマ族やパイワン族の人々がどういう「蝦」を想像しているのかは要確認ですね。



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後段「饗応の準備を怠る」モチーフは今回の事例と『系統所属』の事例でほぼ同じです。

異なるのは、怒った知本社人が作物を切りすてた件。
『系統所属』では作物の「根」を切ったので、トコの子孫たちは初めそれに気がつかず、作物が枯れてから根が切られているのがわかったといいます。
知本社人がなぜそんな面倒なことをしたのかわかりませんが、作物が育たなくなったことで移住することになったという成り行きは同じです。

『系統所属』ではその後「カルカラン」に移住し、更にKanarilaoという所に移ったといいますが、なぜ二度移住したのか理由は書かれていません。
対して、今回の事例では、カルカランに移住した所で知本社の人々に咎められて、「もっと傍へ行け」と言われ、それに従ったということになっています。

しかし、やはりどう考えても、この文脈で登場する「傍」という単語が知本社全体の名称になるのはおかしいですね。採集者は不思議に思わなかったのでしょうか?或いは資料整理の過程で本来あった説明が抜け落ちてしまったのか?
日本統治時代に採集された台湾原住民の神話伝説資料にはたまにこういうことが発生しますね。