神話伝説ふしぎ草紙

神話・伝説・昔話の研究・翻訳ブログ。日本・台湾・中国がメイン。たまに欧州。 タイトル画像:台湾台東県池上

プユマ族 「卑南社に日本人の来りし話」(伝承の中の「日本人」・日卑同祖論)

「卑南社に日本人の来りし話」
昔日本人、卑南社に来り、我等は汝等と祖先を同じつすと云ひて暫く滞在せしが、偶々卑南社の者、日本人に耕作せよと勧めたるに彼等は耕作を欲せず、とて南に帰れり。

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プユマ族の「外国人伝承」としてはオランダ人に関するものが多いのですが、日本人についても一つ挙げました。



タイトル通り、プユマ族が日本人を匿って助けてくれたという話。
確かに牡丹社事件において日本は屏東パイワン族と戦いましたが、リンク先の伝承がその時のことを言っているのかどうかは不明です。

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今回の事例も史実であるかどうかははっきりしません。

「日本人が、ふらっと台東のプユマ族部落にやってきて、暫くして去った」などということがありえたのでしょうか?

日本の台湾統治以後は台東にも普通に日本人が入って現地に住みついていたわけですから、それ以前の出来事のはずです。というか、今回の事例自体、日本統治時代の資料です。

しかし日本の台湾統治以前ということになると、歴史的な考証はだいぶ難しいと思われます。
上に触れた牡丹社事件の成り行きを見るに、琉球人も台湾南部の原住民地帯に来ることは少なかったと思われます。
肝の座った薩摩商人が新たな商売を求めて視察に行った可能性、とかはあるのでしょうか?

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「我々と汝等は同じ先祖から分れたのだ」と日本人が言ったことになっています。

先祖が同じ、というと戦前に見られた「日韓同祖論」を思い出します。あれは言ってみれば「帝国主義的創作神話」です。同じ祖先をもっているのだから、一つの国になるのは当然だという理論。

しかし台湾原住民ツオウ族(鄒族)の一部の伝承においては、ツオウ族の方が日本人をかつての同胞=同祖の者として語るという伝承があります。

ツオウ族の代表的な「樹葉化人」型民族起源神話において、ツオウ族と共に生じた「マヤ」と呼ばれる人々がいるのですが、ツオウ族と別れた「マヤ」は北方へ去ったと言います。因みに「漢人」は後で別に発生しているので、「マヤ」は「漢人」ではない。
そして日本人が台湾統治を始めて、ツオウ族の村に入ったところ、ツオウ族の人々は「マヤが帰って来た!」となった、という話です。何を以てそう認識したのか?理由が知りたいところですが。

『系統所属』によると、北ツオウ族の長老たちは日本人を「Nipponjin」的な呼び方をせず、「マヤ」と呼んでいたそうなので、日本側が捏造したというわけでもないでしょう。というか、捏造するならツオウ族のみで捏造する意味がわからない。
田哲益『鄒族神話与伝説』はツオウ族が日本人と大きな衝突もせずにその統治を受けいれた理由として、ツオウ族側に「マヤ=日本人説」があったことを指摘していますね。

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今回の事例は非常に短く、語り口も簡潔すぎて、その日本人に対する好悪のイメージは全くわかりません。
実際に交流があったであろう「オランダ人」の伝承と比べると非常に貧弱です。

しかし確かにプユマ族が日本統治に激しく抵抗したという話も聞きません。
また日本側がこの地域を統治するに当たって、始めに協力をとりつけたのは卑南社頭目だったようですね。

ただ今回の事例のような伝承が、今現在、卑南社自身に残っているのかどうかはわかりません。
台湾においても「日本統治に協力した者は悪」という感覚は、韓国ほどではありませんが、あるにはありますから。

プユマ族 「紅頭嶼より粟を盗み来りし話」(穀物起源神話・穀物盗み型・女人社女護島) 

「紅頭嶼より粟を盗み来りし話」
昔紅頭嶼は女人ばかりの島にして、男の行けば必ず皆裸体とせられしものなり。然るに其処に一種の粟ありて、味こよなく美なれば、如何にもして其を盗まんものと工夫したる男あり。或日彼紅頭嶼に到るや竊に粟を陰茎の皮の中に隠したれば、彼等に知らるることなく、首尾よく持ち来たるを得たり。社には今も其粟あり。

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穀物起源神話。穀物盗み型。女人村伝承。蘭嶼に関わる伝承。

紅頭嶼=蘭嶼島から粟種を盗んで来たという話は前にも見ました。知本社の事例で、「巨大な榕樹の根を伝って台湾本島から蘭嶼まで行き来できた」というモチーフを含んでいました。



しかし今回の事例では「巨大な榕樹」については言及されていません。
そのかわり、というわけでもないのでしょうが、女人村モチーフが登場しています。

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台湾原住民の女人村伝承についても既に幾つも記事を書いています。「女人村」「女人部落」「女人島」「女護島」などの単語で検索していただければ。

プユマ族の女人村伝承についても既に書いています。「男だけを狙う」という条件付けがあるだけで、ほとんど単なる食人鬼の伝承ですが。



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しかし今回の事例において、蘭嶼の女たちは男を殺してしまうようなことはありません。
また良く語られる「男は精魂尽き果てるまで性交させられる」というわけでもなさそうです。

ただ服は脱がせる。
「女人村の女たちは好色である」という事例は多いですから、「男の裸を見るのが好き」という設定でしょうか?それとも「蘭嶼の物を持ち出さないように」という意味でしょうか?

男が粟種を性器の皮に隠して持ち出すのは、上記リンクの事例と同じですね。
女性が先に試して失敗するというくだりはなくなっています。女人島であるランヨには女は入れなかった?という発想があったかどうかは要確認ですね。

「社には今も其粟あり」とありますが、ランヨからもたらされた粟と現在栽培している粟とは異なっているという認識なのでしょうか?
それとも「粟の始祖として一部保管されている」とかでしょうか?

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穀物盗み神話において、「その穀物をどこから盗んで来たか?」というのは重要なポイントだと思います。

日本の穀物盗み神話の場合は、「中国=唐から盗んで来た」などという事例が多そうですが、これは「中国が日本よりも高い文化を持っているという認識があるからだ」などと解釈されるのが普通だと思います。

では台湾原住民の穀物盗み神話においてはどうか?
私のイメージでは「地下界に住む地底人の家から盗ん来る」という事例がすぐに思い当たりますが、他はどうか?漢人の家から盗んで来たという話もありますね。
では女人村から盗んできた事例はあったかどうか・・・。要確認ですね。

プユマ族 「ピナルピハンの話」(感精神話?単性生殖出生譚?母子相姦型民族起源神話)

「ピナルピハンの話」
昔キントポル山にピナルピハンと称する女ありけり。突然山崩れて彼崖下に墜落せんとするを「タトリン」草につかまりて漸く一命を拾いたり。然るに其時より彼の腹膨れて、間もなく一人の男子を産みたり。彼長じて青年となりしも常に赤子の如く泣きて止まざれば、母は心を痛めいろいろと慰めたれども其効なく、余りの事なれば、或日母も苛立まぎれに汝は何故に泣くや、我が陰部にても欲しきにやと尋ねしに子は然りと答う。其より母は子と交りて幾多の子孫を産みたり。

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話者は呂家社(リカボン社・利嘉社)三名の名前が挙がっています。

今回の事例。全体としては民族起源神話か部落起源神話のようではありますが、「呂家社の起源」については同じ三名の名で異なる伝承が記録されています。

「呂家社の起源」の内容は「パナパナヤンの巨石から生じた」という石生神話なのですが、卑南社の許可を得てその領地内に呂家社を建てたと言います。
系統としては知本と同じく、所謂「石生神話」系統。しかし居住地に関しては卑南社の領地を借りた?ということでしょうか?
知本社とは戦争をしたこともあるそうで、かつては勢力を強めたこともあったようですね。

「知本社人による呂家社の起源」も以前紹介しました。



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しかし、では今回の事例は一体何のか?
ただの昔話だとすると、母子相姦モチーフが出て来るというのはだいぶ意味がわかりませんが・・・。

もちろんただの昔話ではないでしょう。
「キントポル山」というはっきりとした地名が挙げられていますが、これはルカイ族大南社の聖地「ケントポル山」の事だと思われます。



ルカイ族大南社はこの地域で非常に強い勢力を持っていました。
各民族各部落の起源神話でも言及されることがありますし、敵対関係にあったという伝承もある。また一方で隣接するパイワン族・プユマ族の頭目家とも通婚することもありました。

また『系統所属』に引用されているプユマ族各部落の起源神話において、「自分の部落が生じる前から、大南社はキントポルにあった」と語る事例が複数あります。
この地域において大南社とキントポルの関係は非常に強い関連性を持って語られていたのだと言えるでしょう。

ということは、今回の事例は明言されてはいないものの、「大南社の話」と理解されていた可能性は高いように思います。

しかし上記リンクの、大南社自身が伝承している事例とは内容が異なっていることも確かです。
どちらの事例でも「山崩れ」は起こっていますし、近親相姦も起こっていますが、微妙に「ずれて」います。

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「キントポル山で山崩れが発生し、ピナルピハンは「タトリン」草につかまって生き延びる。しかしその後妊娠して男児を生む」という前半部。

山崩れの理由はわかりません。また「タトリン草」なるものもオンライン辞典で調べてみましたが、わかりませんでした。
そうなるとピナルピハンの妊娠は本当に理由がわかりません。「感精」ですらなく、「無精」或は「単性」妊娠と言えます。

後段は生まれた男児が青年に至っても「赤子の如く泣きて止ま」ないといい、結果母子相姦が行なわれます。
成長したにもかかわらず、赤子のように泣き続ける男・・・当然想起されるのはスサノオですね。そしてスサノオが泣き叫ぶ理由も「母」を求めての事でした。

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近親相姦や単性生殖による出産或は出現は確かに神話的モチーフだと言えます。
ただ、描写として良いイメージで語られている感じがしないのはどうしてでしょうか?

「青年になっても母を求めて泣き叫ぶ男」のモチーフは確かにスサノオと似ていますが、今回の事例にはスサノオが展開で犯した狼藉のような野性性を示す行為もありませんし、ヤマタノオロチ神話のような「英雄化」の過程も描かれません。


今回の事例を見る限り、単純に「泣き虫で情けない男」が母親と近親相姦することによって、子孫が増えたという描写になっています。
単なる翻訳=描写の問題ではなく、話の流れとして「幼児性の脱却」或は「野性性の克服」といったモチーフが全く現れない。

正直「呂家社の人が大南社を貶めるような部落起源伝承を流布しようとしている?」とも思いましたが・・・。
まあそこまで明確な意図をもって語られていたとも思いません。

『系統所属』記載呂家社起源伝承にもあるように、呂家社は古くから大南社と関係がありますから。
しかし一方で他の部落と同じく、大南社の圧力は受けていたと思われます。
そこで「どこの部落とは言わないけど、こんな話があってさ」とそこはかとなく馬鹿にする、ということもあってもおかしくはないと思いますね。

もちろんそれは、今回の事例だけを見て感じた単なる感想です。
大南社側に類話があれば話は変わってきますが・・・どうでしょうか?要継続調査ですね。

プユマ族 「トゥトゥウルの南京虫となりし話」(変身譚・害虫の起源)

トゥトゥウルの南京虫となりし話

昔、トゥトゥウルと云う蕃丁あり。或時、彼河に出でて水を汲まんとせしに水濁りて飲むべくもあらず。其日は其儘帰りしが、翌日も、其翌日も同じく水濁りあれば、不思議に思いて水中を探りしに、一匹の蟹あり。彼よりて其を殺したるに、突然一人の美女現わる。トゥトゥウルいぶかしく思いたれど、其儘美女を振り棄つるも惜しきことなれば、直ちに衣を脱ぎて其中に包み、己が家に連れ帰り、穀倉の中に隠し置きたり。其日、頭目出猟して鹿を捕えたれば、トゥトゥウルを呼びて、其肉を親戚に配布せんことを命じたり。然るにトゥトゥウルは其肉を己が家に隠し、素知らぬ顔して帰りたり。頭目は彼の余りに早きを怪み、其夜彼家の傍にひそみて内の様子を窺いしに、汝は鹿の心臓を好むや、又肉を好むや、などと話し声す。耳を欹ててよく聞けば、相手は女らし。彼は未だ独身なるに、女の声するは不思議なりと戸を開きて内に入りしに、一人の美女の姿見ゆ。それより頭目はトゥトゥウルに迫りて其女を側に寄せ、其夜は其処に宿りたり。然るにトゥトゥウルは折角連れ帰りし女をむざむざ頭目に取られたれば、怨骨髄に徹するばかりにて、彼は如何で美女の側を離るべきとて、己も共に添寝せり。頭目は其を見て忌々しく思い、唾吐く時に邪魔なれば地に寝ねよと命じぬ。彼は致し方なく、足許に下りぬ。然るに頭目は足を延ばすこと能わず、其処もなりがたし。地に去れと罵る。それより彼は手の側に寝たるに、頭目は復も我手に触るべからずと叱責したれば、トゥトゥウルも今は耐えがたく、然らば我臼の中にて眠らんと臼の中にて眠らんと臼の中に入るや、忽ち南京虫となりて美女に飛びつきて、その血を吸いて殺したり。

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害虫の起源神話。変身譚。

「南京虫」。
「トコジラミ」「トコムシ」とも言うそうですが、シラミではなくカメムシの仲間だそうです。
人の血を吸います。

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「害虫の起源」ということでは以前「退屈しのぎに虱を買ってきた話」を取り上げたことがあります。



しかし今回の「南京虫の起源」は血を吸って女を殺すという結末。
現実では、南京虫に血を吸われたからといって死亡したり重大な病気にかかったりすることはないそうですが、明確な噛み跡が残り強い痒みを感じるらしいので、やはり普通の虱に比べると恐ろしい害虫だと言う認識はあったのだと思います。

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「害虫の起源」というと、鬼・妖怪・悪人・巨人などが死んだあとその死体から生じるという「死体化生型」の由来譚も多いですね。





しかし今回の事例では南京虫に変身した男が特に悪人だったというわけでもない。むしろ悪いのは他人の女を寝取った頭目ですが、やはりかつては頭目がそのような横暴を行ったことがあるという話も聞きます。

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「害虫の起源譚」である一方で、変身譚でもあります。
台湾原住民には子供が猿や鳥になるという変身譚が多いですが、大人が変身する事例も存在します。



タイトルは「子供たちが鳥になる」ですが、その子供たちを虐待していた母親も鼠に変身しています。鼠になった母親は「貴重なモノを齧ってやる」と宣言していますから、当然「害獣としての鼠」です。

子供の変身譚が基本的には人間の生活に深く関わらない野生動物や鳥類の由来譚になるのに対して、大人の変身譚が害虫害獣の由来譚になっているというのは興味深いですね。



今回の伝承は不思議な美女の出現から話が始まっています。

「彼河に出でて水を汲まんとせしに水濁りて飲むべくもあらず。其日は其儘帰りしが、翌日も、其翌日も同じく水濁りあれば、不思議に思いて水中を探りしに、一匹の蟹あり。彼よりて其を殺したるに、突然一人の美女現わる。」

水汲みに行ったら水が濁っていて飲料水に適さない。数日たってもずっと水が濁っていたので水中を探ると蟹がいた。その蟹を殺すと美女が出現。

・・・美女は蟹の化身かなにかなのでしょうか?
しかし「殺したる」とあるので、報恩的な蟹女房譚ではない。
殺された復讐として美女の姿で現われ、男を誘惑したということでしょうか?

なかなか一筋縄では解釈できなさそうなモチーフのようにも思います。
蟹関係の伝承を参照すべきか?台湾原住民には「不思議な美女」という主題もありそうですが、今回の事例に似たものがあるかどうか?

プユマ族 「カドバリバリの話」(女人部落・食人鬼伝承)

カドバリバリの話

昔、カドバリバリと称する女人ばかりの社あり。彼等は男の到るを見れば、抱き締め或は抓りて殺し、其肉を截りて乾し堅め、其を貯え置きて、淋しき折には其香を嗅ぎて慰めり。或時猿を其処に遣りしに、毛皆抜き取られて追い返されたり。

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「女人部落」「女人村」、離島の場合は「女護島」などとも言う、「女だけの村」というモチーフ。
台湾原住民の間では良くあるもので、このブログでも何度か取り上げています。



















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今回の事例では女人部落の女がどうやって子孫を残して行くのかには興味がないようです。

上にあげた事例では「女人部落の女は陰部に風を受けて妊娠する」「外の男をつかまえて生殖を行い、女子は生かし、男子は殺す」などと言われます。

しかし今回の事例では、男を見つけると殺してしまう。そしてその肉を干して保存するといいます。
淋しい時はその干肉の香を嗅いで紛らわせる、狙われるのは男だけ?というのは「女性性」を表しているとも言えますが、正直こうなると「女性」である必然性はあまりなく、ただの「食人鬼」のようにも思います。

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「猿を送り込んだ」とありますが、これは「猿を身代わりにしてみた」ということでしょうか?
ちょっと意図がよくわかりません。

その猿が「毛をむしられて追い返された」というのは、「獣ではなく人間の男を寄こせ」という意味なのでしょうか?

このくだりは良くわからない部分ですが、一応は「人間の男のみを殺す、女だけの村」という性質を強調していると考えるべきなのか?

因みに、プユマ族には猿婿始祖神話もあります。それとの対比で考えるなら、この「カドバリバリ」という女人社の非人間性はより強調されることになるでしょう。



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「女人部落は恐ろしい・・・」という伝承は多いのですが、「女人部落と戦って勝利した」という伝承は少ないです。しかし聞いたことはあります。

私がセデック族の人に聞いた話では、「女人部落の女たちは戦いに敗れて、豆の中に逃げ込んだ」という小人伝承に通じるようなモチーフを持つ事例もあったようです。

あとは「蜂を操った」「料理の湯気だけを吸い、料理自体は食べない」「肛門がない」などという、他の異民族伝承・異能者伝承に登場するモチーフが付随することもありますね。

プユマ族 「馘首の由来」(猿祭の起源伝承)

馘首の由来

昔、兄弟二人其父を殺せしより、馘首の風起れり。今「タコパコパン」の少年等猿を取り、十尺許の竹に結びつけて弓にて射るは、その稽古なり。而してそれに因める「マガヤガヤウ」と云う踊も又其時に始まれり。

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「兄弟が父親を殺した」話とは、プユマ族に伝わる一連の「兄弟英雄伝承」内で語られていた出来事を指すと考えるべきでしょう。


リンクは卑南社に伝承されていた事例ですが、この兄弟英雄は知本社頭目の血統でもあります。知本の方ではこの兄弟英雄伝承をどの程度重視していたのか?気になる所です。
今回の事例は短すぎて全くわかりませんが。

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上記リンクの伝承では、兄弟英雄による父殺しは「肩帯」と「キョン祭」の起源になっていて「猿祭」については言及されていません。

しかし今回の事例では「兄弟英雄の父殺し」を「首狩り」と「猿祭」の由来譚としている。
この違いはなかなか面白いですが、これは「卑南社=南王社と知本社では見解が異なる」ということなのか?

それとも時代による変化か?
上記リンクの資料は戦後調査によるもので、今回の事例は日本時代の調査です。

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「猿祭」とは「殺猿儀礼」とも呼ばれている儀礼で、年末年始に行われているプユマ族の「豊年祭」の一部。
少年会所「タコバン」に所属している少年たちが行なう儀礼であり、その名の通り「猿を殺す」儀礼。現在は本物の猿は使わず、「草で作った猿に槍を突立てる」ものになっています。

私は2011年年末に南王社(プユマ社)の殺猿儀礼を見学しました。

少年会所「タコバン」

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現在の会場は南王社の隣にある卑南文化公園。

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草で作った猿に槍を突立てる。

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「今「タコパコパン」の少年等猿を取り、十尺許の竹に結びつけて弓にて射るは、その(馘首の)稽古なり。」とありますが、現在その由来譚は意識されているのでしょうか?わかりません。

「それに因める「マガヤガヤウ」と云う踊」があるとのことですが、未見です。

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台湾原住民の首狩りについては色々な伝承がありますが、このブログでも幾つかは取り上げています。











首狩りの起源は『生蕃伝説集』に幾つかの事例がまとめられていますが、ツオウ族の事例に「蠅の首を切って眺めて喜んでいた男が、猿の首で試したところより面白いと感じ、人の首を試したところもっと面白かったので、首狩りをするようになった」というような起源説があります。

このような「面白かった」「並べて見たらキレイだった」等の首狩り起源伝承を見ると、普通に「なんと軽薄で残酷な」と思ってしまいますが、その感想が正しいのかどうかは少し疑問です。

なぜなら、台湾原住民の首狩りは現実的には非常に重要な意義を持つ儀礼だからです。
上記リンクにセデック族の「首狩りの理由」をまとめていますが、どれも部落或は個人において非常に重要な意義があります。

それにもかかわらず「軽い感じの起源伝承もある」というのはなぜなのか?難しいですね。
とりあえず「各民族ごとに首狩りの由来譚・意義、儀礼方法などを整理して比較する」とかが切り口になるのでしょうか?

まあどう切り込むにしても、山田仁史先生の著作は必読でしょうね。

首狩の宗教民族学 (単行本)
山田 仁史
筑摩書房
2015-03-19


プユマ族 「山羊の話」(動物の起源・親の虐待によって子供が動物に変身する)

山羊の話

昔、父子にて耕作に従事せしに、子は働かずして遊び居たれば、父大に怒り、木鍬にて子の頭を打ちたり。子は驚き、崖の下に逃げ去れり。然るに、其鍬頭にささりてとれず、遂に角となる。之れ山羊の始なり。

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台湾原住民の間で広く伝承されている、人間から動物への変身譚。
サイシャット族やサオ族については一応既にまとめています。





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この「人間から動物への変身譚」が、全てそれぞれの動物の起源伝承なのか?というと必ずしも明確ではありません。

今回の事例は「之れ山羊の始なり。」と明確に「山羊の起源伝承」として語られていますが、こういう一文が必ずあるかというとそうでもない。
更に言えば、一種の動物について複数の変身譚が存在する場合も多数あります。それも一部落毎に一例ずつと綺麗に分布しているかというと、そんなこともないでしょう。

ではこの「人間から動物への変身譚」はどういう意味があるのか?
起源を語る場合は神聖な神話であって、起源を語らない場合は子供を躾けるための教訓話的な意味があった?
・・・正直、わからないですね。

唯一つだけ言えることは以下のようなことでしょう。
これら「人間から動物への変身譚」は、それ自体、そこに登場する動物たちに対して共感性を持っている。更に、聞く人に対して動物への共感性を生じさせるように作用する。
この種の変身譚で語られるのは基本野生動物です。犬に変身する事例は見たことありません。
本来は全く共感する余地のない野生の存在。その野生動物に対して、「元は人間だった」と語ることによって、人々は動物に対して漠然とした共感を感じるようになります。

北方狩猟民の「動物はそもそも人間の姿をしていて、一時的に動物の姿でこちらの世界に現れているだけ」というような動物観と比べると、動物の人格化度合はそれほど高くありません。
しかし逆に日本的な「野生動物は、神そのもの或は神の使いである可能性がある」という動物観とも少し異なる気もしますね。

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「人から動物への変身譚」で山羊に変身する話。
このブログでは一話だけありました。今回の事例と同じくプユマ族の話。



「山羊に変わってしまった」と言いますが、二人の娘が「山羊の起源」というわけではありません。
娘たちは炎天下の畑仕事を嫌って、「山羊になって木陰で休みたい」と思って、自ら山羊に変身しようと草刈道具を頭に挿しています。

猿の場合は「尻尾」、鳥の場合は「翼」、山羊の場合は「角」を再現することが変身するための条件になっているようですね。まあそれぞれの動物に特徴的な部分です。

この「二人の娘」ヴァージョンと比べると、今回の事例の「息子」はだいぶ可哀想ですね。怠けていたところ、父親に鍬で殴られ、崖に逃げる。「鍬が頭に刺さって抜けず、角になった」ということは父親は完全に殺しに来ていますが、やはり「角」が重要。

一方で「崖に逃げた」という点にも注目すべきでしょう。
急な崖を移動する山羊のイメージはやはり印象深いということなのだと思います。

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台湾原住民の伝承では山羊はあまり登場しません。
狩猟対象・食用にしているのかもわかりません。棲息地に偏りがあるかどうかも不明。
要確認です。

またそろそろ台湾原住民全体の「変身譚」を整理する必要があるかもしれません。
分類項目は色々考えてみる必要がありそうですが、先に資料収集が必要ですね。

プユマ族 「卑南渓の話」(河川の起源)

卑南渓の話

昔、トクビスと称する男、スリョルと称する山に赴きしに、犬あり。其を携え帰りて飼養せり。其後、彼犬を伴いて、出猟せしに、犬は何処ともなく駈けて行きしが、間もなく濡れて帰れり。翌日は彼犬と共に赴きしに大なる池あり。トクビス、よりて岸に立ちて、呪文を唱えて「トントン」と地を踏みしに、岸崩れて、水溢れ出でたり。今の卑南渓は其水の流れたる跡あり。

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卑南渓の由来については以前取り上げたことがあります。



リンク事例中の「イマルの息子」が今回の事例の主人公「トクビス」ということで良いのでしょうか?
「卑南渓の物語」でも「犬の獲得」が卑南渓の水源の前提になっているのは同じです。
しかし「トクビス」が意図的に池の岸を壊して卑南渓を作ったのに対して、「イマルの息子」はそうではなさそうに見えます。驚いて逃げ出し、村の人々に助言を求めていますから。

もちろんその他にも異なる点はあります。
本事例の「池の発見」→「岸を壊して水を流す」という話の成り行きは普通に感じますが、「イマルの息子」の事例では「池の発見」→「鹿狩りの失敗」→「厄払い儀礼をしようとして暴風雨を起す」→「竹占いで示された土地で四股を踏んだところ水が流れ出す」という非常に複雑な内容。

その過程について、上記の記事では「地上の留まっていた水(池)が天上の動く水(暴風)に変化し、最後には地上の動く水(川)へと落ち着いたという伝承」という解釈をしましたが、これは伝承の志向する興味が「水の行方」に向った事例なのだと思われます。

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しかし他の類話、例えば林道生『原住民神話・故事全集(1)』や金栄華『台湾卑南族民間故事』が伝える卑南社の事例では、「昔、部落の近くに水がなく、不便だったので卑南渓を作った」とされています。
更に、「卑南渓ができて水を使えるようになったのはよかったが、台風が来ると氾濫するので、祭祀によって川筋を変えた」という結末が語られています。

今回の事例の話者は知本の人なので「卑南渓の由来」には興味があっても、卑南社の現実の生活についてまでは関心がなかった可能性はありますね。

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動物の導き、というか「動物の体が濡れていたのを見て生活用水を発見する」という伝承。

台湾は雨もたくさん降りますし、水も豊かなイメージがあるのですが、生活用水を確保するのは難しかったということなのでしょうか?水利権で揉めたりとか?

「泉発見」伝承、台湾ではもっと色々な所にありそうです。



しかし、それが「卑南渓」という結構大きな川の起源になるというのは、なかなかスケールが大きい。

そしてやはりプユマ族の神話伝説では「呪術」「呪力」「呪文」などが登場する頻度がとても多い気がしますね。

プユマ族 「紅頭嶼より粟を得たる話」(穀物起源神話・穀物盗み型・巨木伝承)

紅頭嶼より粟を得たる話

太古、ルボアンに「ワナイ」(榕樹)あり。其根、紅頭嶼に蔓りたれば、人々は其根を渡りて、彼我互に往来せり。或時一人の婦人、紅頭嶼に到り、「プシラーク」(粟の一種)を見、之れよき物と思いたれば、竊に陰部に入れて携え帰りしが、途中にて放尿の際、流失せり。その事、社人に告げたるに、或一人の男、然らばとて直ちに紅頭嶼に到り、己が陰茎の皮の中に隠して首尾よく携え帰れり。我等今に栽培して其種を絶さず。

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台湾の穀物起源神話は山田仁史先生が既に多くの資料をまとめています。今回の事例も取り上げられていたはず。

大筋は所謂「穀物盗み型」。このブログでも多くの事例を扱っていますし、色々な話型分類にも取り上げられています。







プユマ族の事例も既に一つ紹介しています。卑南社の事例ですが、やはり「紅頭嶼」、今の蘭嶼島から粟を得たことになっています。



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一方で「巨木伝承」でもあります。

榕樹=ガジュマルの木は台湾では最もメジャーな「神木」です。道教廟にも大概大きな榕樹が生えています。

やはり榕樹の特殊性はその形態にあると思います。高く成長する場合もありますが、横に拡がっていくモノも多い。種類に因るのか、環境に因るのかはわかりませんが、かなり特殊な形態になりえます。

知本森林遊楽区の榕樹。

IMG_9385




















通常の「天に伸びるタイプの巨木神話」では、「天界との通路」にもなっていた巨木は最終的に切られるのが普通です。
今回の事例と上記リンクの卑南社の事例では、粟を盗み出したあと榕樹の根を切ったのかどうかはわかりません。「追跡を逃れるために根を切った」という描写があっても不思議ではないと思いますが。

この「昔は榕樹の根を伝ってランヨ島と行き来できた」という伝承は知本より南にあるパイワン族の太麻里社にもあります。しかし穀物起源には言及せず、「船の交通の妨げになるから切ってしまった」という話は聞きました

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今回の事例では、一度女性が盗もうとして失敗し、次に試みた男性が盗み出すことに成功しています。
この男女の「役割分担」に象徴的な意味があるのか?

今回のような「穀物盗み型穀物起源神話」は他民族にも事例がありますから、まとめてみると見えてくるものがあるかもしれません。

プユマ族 「スマトクトクの娘の話」(鳥が誘拐された人間の娘を救った話)

スマトクトクの娘の話

昔、スマトクトクと称する者、二人の娘を家に残し、我の帰らざる内は如何なることありとも戸外に出づること勿れと戒めて、畑に赴きたり。されど留守居せし二人は始の内こそ屋内にて遊び居たりしが、遂には一日の長きに退屈し、戸外に出でて鞦韆に乗りて遊びたり。然るに何処よりか一人の男現われて二女を捕えて攫え行けり。斯くて其男家に帰るやひたすら二女を労れど、二女は堅く口を閉じて食物を口にせざれば、彼大いに怒り、汝の如き強情者は世にあらず、生かし置くも用なしとて、先ず一人を弓にて射殺せり。次に今一人の女をもと弓に矢を番えて狙いを定めたりしが、天俄にかき曇り、雲と雲との裂け目より電光ピカリと閃けば、男も手を緩め躊躇う中に「タツキゥ」と称する鳥、矢庭に飛び来りて其娘を攫い再母の許に連れ帰れり。

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親の留守中に悪いヤツが来て、子供が危機に陥る話。「天道さんの金の綱」「虎姑婆」系統ですね。
プユマ族パイワン族等、台湾原住民の事例は下のリンクに既にまとめてあります。







ただこの話型によくある「扉越しの問答」「添寝しつつ子供を食べる」「何を食べているか問われて食べ残した指を差出す」などのモチーフは登場しません。

子供たちがそもそも親の言うことを聞かずに外で遊んでいて、誘拐されたわけですから当然と言えば当然です。
しかし、この話型につきもののモチーフが悉く登場しないということは、そもそも異なる系統の話がたまたま状況設定的に似てしまった、ということなのかもしれません。

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今回の事例の要点は、やはり最終段。
殺されそうになった娘を「タツキゥ」という鳥が救ったという部分でしょう。

この「タツキゥ」鳥ですが、このブログではアミ族の挙天神話「天はなぜ高くなったのか」で活躍する「ダダチウ」鳥と名称が似ています。他の類話では「タチウ」と呼ばれていますから、より近い発音になります。



このアミ族の記事でも書いたのですが、天を高くすることに成功した「タタチウ」鳥が現実ではどのように信仰されているのか?というのが重要だと思います。
例えば台湾原住民によくある、狩猟の吉凶を占う「鳥占」の鳥である、とか。しかしそういう資料はなかったりする。

今回の事例の「タツキゥ」も同じで、『調査報告書』知本社の項目にある「鳥占」には「タツキゥ」の名前がありません。「ヒュードル」「トビ」「トマギシ」「シミリシリオ」という四種の鳥の名前が挙がっています。

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「そんなの現地の人に聞いたら一発でわかるでしょ」という可能性は確かにありますが、一方で既に失伝されている可能性もあります。
神々の名前とかもそうですね。

「台湾原住民の鳥伝承・鳥信仰」みたいな研究があれば良いのですがどうでしょう?

台湾原住民の研究は文化人類学的なものが多いイメージがありますが、民俗学的なテーマ別まとめ的なものがあると比較研究的にも便利な気はしますね。

プユマ族 「サミリカンの話」(異類婚姻譚・鹿婿)

サミリカンの話

昔ルボアンにサミリカンと云う娘あり。毎夜一人畑小屋に赴きて寝るを常とす。父、之を怪しみて、一日畑に到りて見るに、畑は野獣の荒すにまかせて、娘の毎夜番せしものとも思われざる有様なれば、大に怒り、其夜娘に代りて畑小屋に宿りぬ。然るに夜中頻りに「ケンケン」と啼くものあれば、鹿ならめと覗うに果して鹿なり。急ぎ弓を取り矢を射たるに、首尾よく鹿を斃しぬ。よき獲物と近かづき見るに、数多の首飾を角にかけあれば、必定娘の情夫なりと。急ぎ首飾と頭とを携えて家に帰りしに、娘は酷く悲み直ちに屋根に登り、鹿の上に飛び下り、己が腹部を角にさして斃れたり。

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人間の娘が牡鹿と結婚する話。鹿婿伝承です。

台湾原住民には鹿婿伝承は結構あります。
日本時代に採集された神話伝説昔話をまとめた『生蕃伝説集』の「鹿の情婦」という項目にはタイヤル族鹿場蕃・パイワン族太麻里社・プユマ族卑南社・アミ族馬太鞍社の事例が挙げられています。

このブログでもサイシャット族の事例を紹介しました。





基本的には父が鹿を殺してしまい、娘も後を追って死ぬという結末で、サイシャット族の事例はだいぶ特殊だと思います。

北はタイヤル族から南はパイワン族まで伝承されているということになっていますが、その中間の民族には事例があるのか?要確認です。

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今回の伝承は前回までと同じく知本社の話者が語った事例なのですが、鹿婿伝承が有名なのは隣の「射馬干部落」(kasavakan)だと思います。

『系統所属』に紹介されている射馬干部落起源神話によると、前々回の記事で紹介した「トコとその子孫たちの移住伝承」でも言及されていた「鹿が農作物を荒らす」ことと鹿婿伝承が明確にリンクしています。
「鹿が農作物を荒らすので、娘を見張りに遣ったところ、娘はその鹿と恋仲になってしまう。父が鹿を殺すと娘は後を追って自殺したので、その土地を不吉として移住した」という話の流れ。

その出来事が起きた場所の名前は前の事例と今回の事例で異なってはいます。しかし、トコの死後、子孫たちが各地を転々とした理由として語られている幾つかの出来事・問題の、始めの一つがこの「鹿」問題であることは共通しています。

また『系統所属』射馬干部落起源神話に登場する娘の名前も今回の事例と同じく「サミリカン」です。
しかし今回の事例は「昔ルボアンにサミリカンと云う娘あり」と始まっています。「ルボアン」はプユマ族の発祥地ですが、話者はこの話を民族発祥の太古の昔の話として認識していたのでしょうか?
或は単純に「鹿と恋人になった娘はサミリカン」という定型性があったということか?
・・・射馬干の歴史伝承の一部であるという認識はなさそうです。

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現在、射馬干部落ではこの「鹿娘婚姻譚」を「ロマンチックな話」と捉えているようです。少なくとも歴史伝承における不吉な一挿話という感じでは決してありませんね。

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プユマ族 「太古の話」(原初海洋・杵搗き型天地分離神話)

太古の話

太古は見渡す限り泥海なりしが、日と共に乾きて山河を生ずるに至れり。

太古の話

太古は天低くして、人々の頭を圧したれば、苦しかりき。然るに或日一人の妊婦庭に出でて米を搗きたるに、杵の端、天を衝きたれば、天は次第次第に昇りたり。

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同じ知本社の話者による「太古の話」、二つ。

ただ前者は本当に世界創世の話であって、人間は一切登場しません。
それに対して、後者は人間が既に存在している世界です。

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一つ目は明らかに「原始海洋」モチーフで始まっていますが、創造神や原初巨人や天から降臨した神々の活躍など一切なく、単純に時間の経過とともに泥海が乾燥したとしています。

「日と共に乾きて山河を生ずるに至れり」とのことで、山河も神々の働きなどではなく、自然に形成されたことになっています。
これは川辺・海辺の地形観察による経験的な世界観なのだと思います。

現在知本渓河口は堤防が作られていますが、その周囲は湿地帯になっており、堤防建設以前はもっと広範囲に水陸湿地の境界が曖昧であった可能性が高いと思われます。
日々の営みで自然と目にする、川・湿地帯における水量の増減とそれによって生じる土砂石の移動堆積、景観の変化。
そういうものから世界の創世を想像してきたということなのだと思います。

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二つ目はこのブログでも既に取り上げてきた、「杵搗き型天地分離神話」。
やはり「妊婦による杵搗き」が天を押し上げたことになっていますね。短いですが、典型的な事例だと思います。




プユマ族 「ピューマの話」

ピューマの話

昔、知本社よりバルフルと云う者、ピューマのパタバンの養子となりて赴き、「サパヤン」の姓を名乗りしが、其後「ララ」と改姓せり。其よりピューマにては常に知本社より養子を迎えしが、偶々プナリュ、エンピルの二人の養子を迎うるや、共に傑物にして社人は愚か恒春辺の人々も尊敬せしかば、何時しかピューマの名称四方に唱伝せらるるに至れり。

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原題通り「ピューマ」としていますが、現代表記では「プユマ」。
「卑南社」の現地名が「プユマ」です。

プユマ部落=卑南社の歴史伝承については以前「卑南社の起源」としてまとめました。



その卑南社内で、最も勢力の強い家系が「ララ家」ですが、その起源についても既に記事にしています。







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上に貼ったララ家に関する三つの記事の一つ目に知本社から婿入りした「カラピアト」とその系統について次のように書かれています。戦後ララ家から採集された伝承。

「KarapiatとVunglaiとの間にKaputayanと云う男児生れ、これがSapayan家に聟入りし、その子ValaurはRa’ra’家に聟入りした。」

それに対して、今回取り上げている伝承では以下のように言っています。

「知本社よりバルフルと云う者、ピューマのパタバンの養子となりて赴き、「サパヤン」の姓を名乗りしが、其後「ララ」と改姓せり。」

バルフルは「Valaur」の可能性がありますね。
また一旦「サパヤン家(姓)」になった後、ララ家になっている点も共通点。

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ただ今回の伝承=知本側の伝承では、知本からララ家への変遷はバルフル一代=一人の話になっています。
対してララ家側の伝承では「カラピアト」「カプタヤン」「ヴァラウル」という三世代の渡る話になっています。

台湾原住民の歴史伝承ではこの手の変化は良く見られるように思います。前回の記事で取り上げた知本社トコ系統の移住伝承も、一つの事例はトコ一代の話で、もう一つの事例はトコとその子孫の二代にわたる話になっていました。



何故そう言う伝承の食い違いが起こるのか?
何年何月という正確な時間が記録されていない「口承の時間軸」では、物事の前後関係や登場人物同士の関係性などでしか「時間的なモノ」を表せません。

しかしそこに話者の立場や考え方の違いが反映して、各事例に矛盾が生じる。
「時間的矛盾を認識する」機会や動機があれば整合性をとろうという方向性が生じるかもしれませんが、そうでなければ各事例は時間的矛盾を維持したまま伝承され続けていくことになります。

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知本側とプユマ社ララ家側のそれぞれの立場で伝承内容が異なるということなのだと思います。

まあ普通に考えるとプユマ社においては後発であり新興勢力であったララ家が、その勢力を伸長させた背景として「知本社との婚姻・親戚関係にある」ことを主張してきたという歴史があるのだと思います。

一方知本側では、ララ家との関係性やその隆盛は現実として認識しているものの、当事者ではないため、その過程の一部しか認識していないということなのだと思います。



後段に登場する「エンピル(エンビル)」については、知本側の別の伝承でも知本の勢力を広めた英雄的人物として言及されています。

『生蕃伝説集』に乗る知本社起源伝承によると、四方の強敵を征服し、租税徴収を始めたとあります。
その後卑南社に婿入りし、その子どもが知本に帰って来たといいます。

ただ今回の伝承の語り口では、エンピルはプユマ社に行って後活躍したかのような言われ方をしていて、印象が異なります。

歴史伝承については、プユマ社側には詳しい本があるのですが、知本側の資料はまとまったものが手元にないので、要確認ですね。

プユマ族 「カテポル社の話」

カテポル社の話

昔、シハシハウの兄弟にトコと称する者あり。一日カブルガン山に行きて、火を焚きしに、此地一面に檜生い茂りたることとて、忽ち火は檜に移りて全山を焼き尽くしぬ。彼驚き逃げて一息にトアブダシ山に登れり。それよりカアロアン、トアブト、ルメガンを経て、ルバルバガンに行きたるに、偶々知本社の者其処に来り。彼に向って云うよう、酒を造り肉を取りて待て。我等後より来らんと。彼、心よく話たれば、知本社の者も一旦帰り大勢と共に再来りたり。然るにトコは約束にたがひ何の準備もなさざりしかば、知本社の者怒り、悉く作物を截り棄てたり。トコ其様を見て、斯る処に居るべからずとて、カルカランに赴きしに知本社の者猶怒さめず、汝の如き者は此処に来るべからず。「コテプラ」(傍)に行けと叱したり。彼止むなく「コテプラ」に行きて社を建てたり。之れ今の「カテポル」社の起なり。

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前回「カテポル」=「知本社」と書きましたが、この伝承では別々であるかのように述べられています。これはどういうことなのか?

『系統所属』には、知本社における「主要三頭目家とその配下」以外の家についても言及があるのですが、その中に「シハシハウの姉トコ」に関する伝承があります。その伝承では「大武山の火事」には言及がありません。また後段はトコ自身ではなく、トコの子孫の話になっていますが、「饗応の準備をすっぽかし、怒りを買う」という特徴的なモチーフは共通しています。社名起源は説かず。

今回の伝承内容と『系統所属』の伝承を合せて読むと、トコは新参者であったことがわかります。しかしトコは知本社の人々に対して非礼を働き、怒りを買って「傍(コテプラ)」に住むように命じられます。その「傍=コテプラ」が変化して、「カテポル」になったということになります。
・・・いやいや。元々そこにあった村の村人が、新参者に「お前なんか傍に住んでいろ」といったら、それを言った側の村の名前が「傍」になる?そんなことがあるでしょうか?

実は『系統所属』には別の「カテポル」名称起源説もあります。
射馬干社創建伝承では「カテポル」の由来は「並ぶ(korpatipol)」が由来だと伝えています。「korpatipol」の読み方がわかりませんが、「コテプラ」と同じ単語なのでしょうか?
発祥地を離れて各地を移動している過程で、カテポル社が射馬干社に並ぶようにして居住していたことから、「並ぶ(korpatipol)」と呼ぶようになった、と言います。

「傍」と「並ぶ」。どちらも対象となる位置基準が必要な単語です。「○○の傍」「××に並ぶ」。
上記二伝承はどちらも部落或は居住地の位置関係を言っていますが、「山」や「川」など自然物である可能性もあります。
現在の知本社は川沿いとは言えませんが、ごく近くに知本渓が流れていますから、「川の傍」というのが真の地名由来であった可能性は十分にあると思います。
しかし「傍」「並ぶ」という単純な位置を表す単語が元であるなら、他称としても普通に話を創作できます。「あそこの部落は昔うちの部落と並んで住んでいたから、そういう名前なんだよ」と。

で、冒頭の疑問に戻りますが。
今回の事例は話者名に「知本社 ゴサイ」とあります。『系統所属』の知本社頭目家系譜にはどうも名前がないようなので、その来歴所属は不明。
しかしこの人物が「シハシハウの姉トコ」の系統に属していたとしたら、「シハシハウの姉トコの系統の話が社名「カテポル」の成立に関わっている」と語ることは意味があります。新参者であるという伝承内容は変えられなくても、社名由来に直接関わっているということは、その「古さ」を強調する上では十分役に立つと思います。

ちなみに「シハシハウ」は本人の来歴は不明ながら、知本社の系統に婿入りして、家系をつないだ人物。トコはその姉ですから、本来は弟シハシハウと一緒に知本社に入っても良かったはずなのですが、『系統所属』の伝承によると、「トコは好色であったため皆に嫌われて別れた」とあります。
知本社の頭目家は三系統ありますが、二系統は明確に外来であるため、シハシハウとの関係性を語ることは十分に意味があったと思われます。

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以下事例内容について。

「カブルガン山」はパイワン語でいうところの「大武山」。プユマ族にはプユマ語の名称もあったようですが、パイワン語で呼ばれることが多かったと『系統所属』にはあります。

その大武山はパイワン族発祥の聖地ですが、その山の檜を焼きつくしてしまったというのはどういう意味があるのか?
この部分は『系統所属』の類話にはない部分なので、解釈の糸口すら見出せません。

ただ上にも書いたように、この事例には『系統所属』がいう「トコは好色であったため皆に嫌われて別れた」という部分がありません。その代りに「大武山での火事」が語られ、「火事から逃れるために遠くへ逃げざるを得なかった」ということになっています。
トコがシハシハウと別れた理由を「大武山での火事」にすることで、トコに対するマイナスイメージを一つ消したことにはなるでしょうか?

『系統所属』の事例でも大武山に行ったことにはなっていますが、火事は起きず。しかしパイワン族パダイン社のMurasという男と出会って結婚したことになっています。

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以下の移動ルート「カアロアン、トアブト、ルメガン、ルバルバガン」は今回の事例と『系統所属』とでほぼ同じ。

しかし『系統所属』事例ではトコ・Muras夫婦はカアロアンで死に、以後は子孫たちの話へ移行しています。また移動中に起きた出来事としては、「動物の来襲」があり、それによって各所を転々としたといいます。
カアロアンでは鹿が畑を荒す。トアブトでは蝦が沢山押寄せて噛みつく。ルメガンでは「ブト(ブユ・吸血するハエ科の昆虫)」に悩まされる。

「蝦の来襲」はパイワン族にも見られるモチーフです。蝦が恐ろしい生物だというのは良くわからない感覚ですが、蝦の中で人間の生活に害をなす種類があるということなのでしょうか?
日本では神話伝説において「大蛇・大蟹」的なモノは良く出現し、英雄によって退治されたりしますが、「人に害為す伝説の巨大エビ」というのは聞いたことがありません。そもそも怖いイメージがない。
プユマ族やパイワン族の人々がどういう「蝦」を想像しているのかは要確認ですね。



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後段「饗応の準備を怠る」モチーフは今回の事例と『系統所属』の事例でほぼ同じです。

異なるのは、怒った知本社人が作物を切りすてた件。
『系統所属』では作物の「根」を切ったので、トコの子孫たちは初めそれに気がつかず、作物が枯れてから根が切られているのがわかったといいます。
知本社人がなぜそんな面倒なことをしたのかわかりませんが、作物が育たなくなったことで移住することになったという成り行きは同じです。

『系統所属』ではその後「カルカラン」に移住し、更にKanarilaoという所に移ったといいますが、なぜ二度移住したのか理由は書かれていません。
対して、今回の事例では、カルカランに移住した所で知本社の人々に咎められて、「もっと傍へ行け」と言われ、それに従ったということになっています。

しかし、やはりどう考えても、この文脈で登場する「傍」という単語が知本社全体の名称になるのはおかしいですね。採集者は不思議に思わなかったのでしょうか?或いは資料整理の過程で本来あった説明が抜け落ちてしまったのか?
日本統治時代に採集された台湾原住民の神話伝説資料にはたまにこういうことが発生しますね。

プユマ族 知本社人による「呂家社の起源」

呂家社の話

昔、知本社の者、里[土龍]方面に出猟せし事あり。シナイハン、モアカイ、ラプール、プルガンの四名、一行に遅れ、今のリカブンの所に在りて彼等の帰るを待ち居たり。偶々試みに携えたる粟、甘藷等を植えつけたるに発育盛んなれば、「ムカボカボン」なりと喜び、其よりシナイハンは其処に移住せり。之れ即ち呂家社の起源なり。

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今回は「呂家社」の起源伝承ですが、話者は「カテポル社ゴサイ」とあります。
「呂家社」のプユマ語名は「Rikovon」。「カテポル社」は知本社「Katipol」だと思われます。

プユマ族には二系統ある、というのは以前触れたと思います。
竹生始祖神話を伝える「卑南」系と、石生始祖神話を伝える「知本」系です。
今回の事例では「呂家社の祖は知本から分れて移住した」とはっきり言っています。

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しかし『系統所属』には呂家社の起源伝承について、他にも幾つかヴァリアントが紹介されています。
それらと今回の事例との大きな違いは二点。

一、呂家社の祖は確かに石から生れているが、それは「呂家の祖は、知本の祖と同じく、石から生れた」のであって、「知本から分れた」のではない。

二、呂家社はルカイ族の部落「大南社」或は「トナ社」から婿を入れ、その末裔が呂家社四頭目中最上位のサンギラダン家となった。その婿が山中に有していた狩猟地域が広大だったことがその理由だと言われている。

『系統所属』のヴァリアントの話者は呂家社の人だと思われますが、知本社の人が語った「呂家社の起源」と相違があるというのは面白い所です。
知本社は「呂家社は知本の分家だよ」と言っていますが、呂家社は知本社との関係性よりもルカイ族部落との関係性を強調しています。そして、実際ルカイ族との関係を語る伝承を背景に四頭目家の序列が決まっています。

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話者の立場によって伝承の内容や、叙述のポイントが異なるというのは当然と言えば当然です。

しかし当然共通点もあります。
今回の事例に現れる四人の名称のうち、少なくとも二人「シナイハン」「モアカイ」は呂家社側の伝承にも登場するようです。どちらも女性。
プユマ族は現在では男系継承を強調する傾向もあるようですが、日本統治時代の資料を見ると女系的な傾向が強いとも言います。

また「呂家社の地は農業に適した土地で、種を播いたら、とても良く作物が育った」というのも共通しています。

伝承中に登場する「ムカボカボン」について、正確な意味は不明。ただ『系統所属』によると「カボン」は帽子の意。オンライン辞書で確認しましたが、それは間違いありません。
「穀物を播いたところ、勢いよく生え、穂が帽子のように稔った。それで蕃社名をRikavonと云ふ。」とあります。

「穀物が帽子のようにたくさん実ったので、『帽子』を語幹とする部落名になった」ということですが・・・
「豊かに実った穀物の穂を『帽子のようだ』と表現する」のはプユマ族では普通なのでしょうか?そうでないとしたら、成立しない名称由来のようにも思えます。
「土地の形状が帽子のようだから」でも「ここを通りかかった英雄が帽子を忘れて行ったから」でも通用してしまいそうですが。

東亜百景:台湾台東県・卑南水利公園/利吉大橋/卑南渓河岸


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今回は8月に行った台東旅行の写真。

私の台東旅行では最終日の電車待ちで、台東駅付近で二時間ほど時間を潰さなければなりません。
いつもは駅舎の反対側にある「卑南文化公園」か近くのプユマ族南王部落をぶらぶらするのですが・・・いい加減飽きてきた上に、写真も大概撮り尽しています。

そこで、ふと、全く逆方向へ自転車を走らせたところが、写真一枚目の水路及その付近に設けられた水利公園に行きつきました。
そしてその水路沿いを遡って行けば、当然大元の川に行きつきます。

以前このブログでも起源伝承を紹介した「卑南渓」です。確かヴァリアントが他にもいくつかあるはず。



「卑南渓」は池上辺りから台東市の河口までを言う名称のようで、更に遡ると「新武呂渓」という名前になっています。花蓮県・高雄市・台東県の県境辺りが源流なのか?3000m級の山々が連なる中央山脈から発しているようです。

私も「新武呂渓」までは行ったことがありませんが、「卑南渓」の範囲だけでも池上・関山・鹿野という台東県の農業・観光産業の重要地点を流れています。
農業用水として重要なのは言うまでもないですが、卑南渓流域はなかなかダイナミックな地形をしていて面白い。鹿野高台の気球にはいつか乗ってみたいですね。

エーバーハルトの中国昔話分類 一時閉幕

「エーバーハルトの中国昔話分類」。

中盤以降、コメントはおろか例話要約すら省略しました。
後々補填して行きたいとは思っていますが・・・『通観』のコメントも全然進んでいないので何時になることやら。

とは言え「ブログ上にテキスト化してあって、話型・類話検索できるようにすることが最優先」ということで。



話型数はサブタイプも含めて「240」でしょうか?
・・・少ない。圧倒的に少ない。

胡萬川『台湾民間故事類型』でも「162話型」。
『日本伝説大系』でも「191話型」。
『日本昔話通観』はサブタイプ含めずに「1211話型」、このブログで記事にした「昔がたり」「動物昔話」だけでも「597話型」。
丁乃通『中国民間故事類型索引』は数えるのが面倒なので省略。

しかしそれにもかかわらず、「AT・通観(話型に対応)ナシ」という話型が結構多かった印象はあります。

やはり実際に語られたり記録されたりしている個々の事例としての「神話・伝説・昔話」というのは「話型」などには囚われない、「人類の想像力の自由さ」の表れであるというがよくわかります。
一方で、それぞれの事例には民族・文化・階層・国家・職業・時代性等々、語り手・聞き手の属性が反映されていて、その世界観・道徳観・思想等を知る大いなる手掛かりともなりえます。

だから「ナシ」事例でもできる限り、「参考話型・事例」を挙げてみました。
それに意味があるかどうかは、天知道。



「AT・通観ナシ」が多かったイメージのある、仙人関係の話などは非常に興味深いのですが、ちょっと独自性が強すぎな気もします。
日本なら英雄伝承や高僧伝との比較研究の余地はあると思います。役小角伝承とか。

しかし台湾原住民の伝説ではそういう「伝説的な人物」の話はだいぶ限定的かつ事例数も少ないイメージがあります。
あっても基本的には各事例が同じモチーフを共有していて、単独事例は少ない気もしますね。

ということで、本来なら、この「エーバーハルトの中国昔話分類」を更に深読みして、日中比較などを行いたいところではありますが、それは将来に持ち越しです。



この記事を以て「エーバーハルトの中国昔話分類」は一時閉幕。

後半すごく駆け足だったので、不備もあろうかと思います。
なので関係話型・モチーフに気がついたら、その都度補完していくつもりです。

E215 利子 (朱元璋の友人が財神となる・長者没落伝承)

「タイプ215 利子」
1後の皇帝朱元璋は、たまたま持ち合わせが足りなかった金持ちの友だちに銅銭一枚を貸す
2朱は高い利子を払うよう要求し、約束される
3朱は後に、皇帝として金が要ると、利子を求める
4金持ちの友だちは今や何百万にも達している利子を払おうとせず、財産を没収され、追放される

沈万山は江南地方の伝説的な長者。実在の人物で、沈万三、沈万三秀などとも呼ばれる。元末から明初の人と伝えられるが、生没年、事跡ともに不詳。財神として宝の鉢とともに年画に現れることがある。北京を含め伝説の地は数多い。江蘇省南京の伝説によると、沈万山はもと貧乏人だったが、川から宝の鉢を拾って巨万の富を築いた。朱元璋が金陵(南京)で皇帝に即位した時、城壁の築造を頼まれるが、財力にものを言わせ、あまり早くしあげたので、かえって朱元璋にうとまれ、雲南へ流された。宝の鉢は朱元璋が取り上げ、城壁の下に築き込んだという。

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AT・通観ナシ

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・金持ちが権力者に協力したにもかかわらず、その財力を危険視されて殺される話(源義家奥州遠征時に宿を提供した長者)



・宝の鉢



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E214 朱買臣 (炭焼長者再婚型男女逆転ヴァージョン・「覆水盆に返らず」)

「タイプ214 朱買臣」
1朱買臣は貧しい薪拾いだが、薪拾いの時にいつも勉強している
2妻は夫が貧しいため夫を捨てて、金持ちと結婚する
3金持ちは落ちぶれ、妻は乞食をして暮らす
4妻は高官になった朱買臣と再会し、再び迎えてほしいと思う
5朱は「こぼした鉢の水を元に戻すことができるなら」と言う
6妻は自殺する

朱買臣(?-前一〇九)は漢の武帝時代の官僚。貧しい中から身を起こし、一時は会稽太守まで登るが、後に武帝に殺される。『漢書』「朱買臣伝」では、妻は朱買臣を捨てて再婚した後、落ちぶれて自殺する。ただし「覆水盆に返らず」の話は見られない。「覆水」の話はこれより古く、『拾遺記』では、周代、斉の太公望呂尚が分れた妻に言った言葉として出てくる。訳出した話aでは、なぜハチが宮廷に現れたのか理由がはっきりしないが、紹興に伝わる類話の中には、山でえさをもらった恩を返し、有能な朱買臣を世に出すため、ハチが山から出てきたと説く話もある。

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AT・通観ナシ

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参考類話・事例

・「炭焼長者再婚型」を男女で逆転させた人間関係





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E213 王昭君 (異国の王に嫁ぐ女)

「タイプ213 王昭君」
1元帝は多くの女性を後宮に置き、姿を画家に描かせる
2女性たちはみな画家に賄賂を贈り、美しく描いてもらう。王昭君だけはそうせず、醜く描かれる
3匈奴のカーンが女性を一人求めると、王昭君がカーンに贈られることになる
4皇帝は後に王昭君の美しさに気づくが遅すぎた
5匈奴のもとで王昭君は暮らす
6カーンの死後、息子が匈奴の習慣に従って王昭君を娶ろうとすると、王昭君は自殺する

漢の元帝(前四九-前三三年在位)時代の宮女。晋代には文帝司馬昭の諱を避けて明君と称した。そのため明君、明妃とも呼ばれる。訳出したbでは昭君が匈奴へ送られるところで終わるが、『漢書』「匈奴伝」にはその後の運命も記されている。昭君は妾として夫との間に一子をもうけるが、夫の死後は当地の習慣に従い、正妻の息子の妻となって更に二女を生んだという。悪徳画家の記述は「匈奴伝」には見られない。本話dでは悪徳画家の不正が原因で匈奴へ送られる。だがaのように、進んで匈奴へ嫁入ったと説く話もある。後宮の宮女の数があまりに多く、元帝の目に止らないのを昭君が恨んだせいだという。王昭君の伝説は後世、詩詞、小説、戯曲、語り物などの題材となった。

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AT・通観ナシ

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参考類話・事例

・猿沢池采女伝説と関係あるか?
「采女はお召がないのを儚んで自殺する」
「采女は絵姿を見た葛城王に見染められ夫と離婚させられたが、猿沢池に衣をかけて逃げ帰る。しかし夫は既に死んでいたので安積沼に身を投げた」





※「田舎の女が綺麗に描かれた絵によって都に召し上げられる」
 「都の娘が醜く描かれた絵によって田舎(異国)に召し上げられる」

・レビレート婚慣行を批判したことによって殺された「洗礼者ヨハネ」



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